« Kali Besarのオランダ時代の建物の崩落 | トップページ | 回復なるのか日本人駐在員数 »

2008年3月13日 (木)

千人の英雄Pahlawan Seribuと言う道路 

Bsd_2008_mar_049
地図を見ているとセルポンの南側に“千人の英雄”Pahlawan Seribuと言う名前の道路があったので出かけてみた。何か記念碑なども地図に出ていたが生憎出かけたとき地図を忘れて、尋ね尋ね行ったわけであるが、もう誰もこの名前の由来を知っている人も興味を示す人もいなかったが一人だけその名前の墓地があるという人がいた。其処に記念碑があるのだろうと問いただすとないという。記念碑は諦めてその墓地に行くことにしたわけであるが、其処は高速を降りて、BSDより反対側にくだり右手にテクノ工業団地行きの道があるのでその道を取りしばらく行くと道路沿いに墓地を見つけることが出来た。単なる墓地と言うよりやはり真ん中に慰霊塔がある大きな墓地公園と言うほうがあっている。但し正門は閉まって守衛も誰もいない。 隣の工場に入って一寸話してみる。インドネシアがオランダとの独立戦争の初期、オランダの最新鋭の銃器に散った地元青年団と民衆の戦いを記念した墓地のようであった。プラウ・スリブもあるのでスリブと言っても千を意味するものでなくここの場合150人程度である。

|

« Kali Besarのオランダ時代の建物の崩落 | トップページ | 回復なるのか日本人駐在員数 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 千人の英雄Pahlawan Seribuと言う道路 :

« Kali Besarのオランダ時代の建物の崩落 | トップページ | 回復なるのか日本人駐在員数 »