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2008年3月 2日 (日)

Permesta・PRRI国内反乱と国軍の偉業

1950年代から1960年代初めまでの国内反乱は同時に起こったダルルイスラムの運動と共にインドネシア各地を舞台に長期にわたった反乱騒動であったため頭が混乱する。ダルルイスラムはムルメスタ国内反乱と一線を引くもので別稿にするとしてプルメスタ((Perjuangan Semesta:全体闘争)を概括してみよう。
プルメスタは10月17日事件から発する軍内部の権力闘争と軍に介入する政党・政府との反発、それが中央政府の汚職や地方分配への不満、中央の左遷化反対、ハッタへの心酔が背景に流れている。
彼らは反共産主義でスカルノ独裁でなくハッタとの二人三脚、地方分権、ナスチオン交替をもとめた。全ての背後にズルキフリ・ル-ビス参謀次長がいた。関連年表を掲げてみる:
1956年7月:ハッタ、辞任表明
1956年10月:反ナスチオン派ルービス、政府転覆企画失敗、罷免に地方軍部反対
1956年12月:パダンでフセイン中佐反乱 バンテン評議会を結成 地方行政奪取
1956年12月:メダンでシンボロン大佐、ガジャ評議会結成 ルービスの働きかけ
1957年1月:パレンバン、バルリアン中佐、ガルーダ評議会結成
1957年3月:マカッサルでスムアル中佐のマングニ評議会、プルメスタ宣言
1957年3月:バンジャルマシンでハサンバスリ中佐、ランプン・マンクラット評議会
1957年3月:プルメスタに対し東インドネシア一帯に戒厳令
1958年2月:ブキティンギで、革命政府宣言 マシュミ党のプラウイラネガラが首相
1958年3月:政府軍鎮圧作戦で米CIAの反乱支援発覚。
1958年5月:政府軍ヤニ大佐、革命政府首都ブキティングを陥落さす  メナドを首都に
1958年6月:政府軍メナド侵攻、陥落後 反乱軍は各地でゲリラ化  
1959年3月:プルメスタ1周年記念で反攻 内閣改造アッサート大統領・ナッシール首相
事後政府の帰順工作と反乱長期化で順次降伏、最終1961年まで続いた。
Merdeka_barat_13_kana
写真はここはどこ国軍本部?Mabes TNI はCilankapであるがこの辺にもあるはず。


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