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2008年3月 5日 (水)

プルメスタの最後

「嵐の前のインドネシア」というRosihan Anwarの日記(左藤正範訳)の61年頃からプルメスタの崩壊が出てくるがそれを拾うと:
61/3 ローレンス・サエラン 投降 兵士90人と。
61/4 ソンバ中佐 プルメスタの大立者 投降 兵士25,000人
61/4 ワハブ・ブラヒム アチェ ダルールイスラム軍 兵士2,000人
61/4 カウイララン プルメスタ総司令官 投降
61・6・23 アフマッド・フセイン 西スマトラ、投降13,500人
61/7 シンボロン 革命政府外相 北スマトラ 投降12,000人
61/8 フレンチェ・スムアール 中佐 革命参謀長 投降
61/8 ズルキフリ 投降
61/8 ブルハヌディン・ハラハップ 政府国防省 投降
61/9/19 シャフルディン・プラウイラネガラ 政府主席 投降
61/9 ナッチール元首相投降
61/9 ダフラン・ジャンペック大佐 西スマトラ 射殺
61/9 アッサート投降 
61/11 カハールムザカル隊(南東スラウエシを指導)投降
これでプルメスタは終わったのであるがその後もこの動きは生き続け、2004年にアチェの解決、北ミナハサの新カブパテン認定でプルメスタの年表は終わっている。ダルル・イスラムは65/2月になって カハール・ムザカールが山中で射殺され終わることが出来た。

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