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2008年3月 1日 (土)

ハッタ辞任でスカルノが狂った

Hatta
スカルノの晩年は気が狂ったとしか言えない政治で八方塞がりの状況を現出した。それはハッタ辞任で歯止めがなくなりシャフリルの逮捕、療養拘禁から死亡(3月9日)の2日後はスハルトの3月11日命令でであったことが暗示する。ハッタ辞任後の燃え盛る国内反乱や西イリアン奪還はスカルノの勝利で終わったが、それが逆に慢心と失政に繋がることになる。ハッタの辞任は1956年12月で、それを契機に国内の地方不満軍人は反スカルノの実力行使に動き、パダン・メダン、スラウエシでの軍評議会反乱は、50年から各地に起こったダルルイスラム反乱と共に国内は騒然となった。スカルノは57年4月、戒厳令を施行、ジュアンダ超内閣議会で西イリアン奪還を打ち出したがこれは軍のエネルギーのはけ口とする戦略でもあった。
スカルノとハッタは性格的にも正反対で特にスカルノの容共的傾斜がハッタに見限られたきっかけであったが、マシュミ党も副大統領も政府から軽んぜられていたことも大きい。しかしハッタの人間性は何時までも人々に尊敬され続けている。ハッタの墓にはそれが易しく答えている。
Meskipun Bung Hatta teller tiada, Bung Hatta akan tetap hidup dalam hati kami
Cita-cita Bung Hatta akan senantiasa menyinari perjuangan kami

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