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2008年4月 4日 (金)

Jatinegara Kaum

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プロガドン郡ジャティネガラ・カウム村でカウムとはスンダ語でムスリムが治める村の意味である。Jatinegaraが地名で現われるのは1665年のVOCの日誌で バンテン王国のPurbaya皇子にこの地を治めさせたというのが始まりである。Purbaya と言うのはバンテンの内紛で、1682年息子のハジ皇子にVOCの援助で王冠を奪われたスルタン・アゲン・チルタヤサのあと一人の息子である。
その後Purbayaは他のSangiangやSake皇子と共にバタビア城に連れてこられた後、バタビアの郊外地に移された。ジャティネガラを治めたのはSangiangであるが、Kapten Jonkerの反乱に組した廉で支配権を奪われた。その後のジャテネガラ村長はLuarbatanのSurawinataに移った。とDKIの資料にはあるが3月27日と28日のブログに登場させたJayawikartaの名前は出てこない。Jayawikartaはここに登場したバンテン一族の数代前で1619年にクーン総督にジャカルタを追われた王家の一人(スルタン・バンテンの家臣で多分部族的にはスンダ人か?)で彼の流れの人々がVOCに組したり、抗したりしこの地に住んだというのが省略されているようだ。
Surawinataもバンテンの王族の流れで、Sanghyangがセイロンに流されたあと1689年後を次いだ者でSanghyangの信頼できる部下であった。その孫Mas Achmat(Jaketra)が現在のJateinegara Kaumの人々の先祖であるようだ。写真はJatinegara Kaum通りで撮った鬱蒼たる竹林の施設である。

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