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2008年4月11日 (金)

Masjid Angkeベタウイ ウラマの勝利のシンボル

Angke
Tubagus Angke通りにあるMasjid Angke Al Anwar は 早く1931年に記念建造物指定を受けている。勿論イ政府も1972年に保護施設として指定している。このモスクは1761年4月2日に建造された。オランダのDehaan博士はその著書でこのモスクはタタールの中国女性がバンテンの皇子に 嫁いでこのモスクを建立したと紹介している。モスクの裏に幾つか墓がありなかんずく、 Syarif Hamid Al Qadriはポンティアナックのスルタンで、1800年代にオランダによりバタビアに連れてこられイスラムの教えを説いた。1854年になくなる。このモスクは土地200m2の上に 15 x 15 m2 と言う小さなものであるが建物には古代バンテン風とチナやヒンドゥの香りが残っている。
このモスクの名前は通りの名前のTubagus Angkeからきているのではない。近くを流れるカリ・アンケ河の名前から来ておりが河の名前自体が、1740年10月9日の中国人虐殺事件での死体が捨てられその地で河の色が赤く(AngkeはHokkianで赤の意)なったところから来ている。河の色は今は黒色である。
Tubagus Angkeはジャテネガラ・カウムで登場させたJayawikartaの父親のようである。また
ここにはJayawikartaの尊敬した助言者Wijayakusuma皇子の墓がある。
このモスクも独立戦争時代はアンケの青年団の闘争の拠点であったが 隣Sawah Lioのアルマンシュールモスク程 傷付けられることは無かった。

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コメント

1.タイトルにベタウイという言葉がありますが、どんな意
  味なのでしょうか? 教えて下さい。
2.仮に地名か人物名であれば、「ベタウイの舞踊」と言わ
  れるような固有の民族舞踊があるのでしょうか?あわせ
  て教えて下さい。

投稿: 飯沼晴男 | 2008年9月11日 (木) 08時30分

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