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2008年4月13日 (日)

Trounojoyo通りの警察機動隊?

テベットの方からブロックエムに向かう時、マンパンからテンデアンに道を取るがこの道を更に西に走るとウォルターモンギシディ通りでここは最近韓国料理店など多くの洒落た店がオープンしている賑やかな通りがある。
Brimob_sep07
ここを過ぎると最初の信号でKepolneg Brimob(警察機動隊)を右手に越える所から、トルノジョヨ通りとなる。更に次の信号でMabak POLRI(国警本部)を右に迎えて最後ASEANセンターである。国警本部のガジャマダの像は既にブログで触れたが対面する警察機動隊の方にも誰かの銅像があるが未だ怖くて読んでいない。通りの名前のトルノージョヨのは、マタラム王国のアマンクラット1世の暴政にマジャパヒットの末裔と称し1674年反乱を起こした。反乱軍の勢いは強く、又マカッサルの海賊の反オランダ精神から応援に参戦するものが多く1677年クディリを都と定め更にマタラムの当時の都ブレレッドも占領した。 1678年になるとオランダ政庁はついで即位したアマンクラット2世の求めに応じ有利な条約と引き換えに制圧に出てきたため、反乱軍はクディリを捨て、逃亡、トルノージョヨも1682年山中で捕らえられ処刑された。この逮捕をやったのが先のブログのカプテン・ヨンケルである。

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