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2008年5月23日 (金)

Ali Sadikinアリサディキン逝く

Galungansenen06
インドネシアの民族覚醒100周年、スハルト退陣10周年の21日、元ジャカルタ市長アリ・サディキンが逝った。1927年7月生まれであるので数え81歳、病気を患いシンガポールの病院で療養中であった。国葬に値するこの男はハッタと同じTanah Kesirを墓地と選んだ。多くの人々に愛され惜しまれた死であったが、それは人々の生活感情に立った不屈の一貫した信念で多くの決断をしてきたからである。小生のブログには昨年7月25日「Ali Sadikin市長にこんなにも功績が」として紹介している。「ジャカルタ市のオランダ時代の旧建物等の保存、公園、博物館に意を尽くしたことで、小生のブログにもよく名前の出るアリ・サディキンH. Ali Sadikin元ジャカルタ市長を紹介しておこう。退役海軍中将(Letnan Jenderal TNI KKO-AL )だけあってスマートさを感じさせる。KKOとは海兵のKorp Komandoである。1927年7月7日生まれの80歳でJI. Borobudur No. 2 でご健在である。今までにBintang Mahaputera Adipradanaを叙勲(Tanda Kehormatan)している。スカルノ大統領時代に何度かスカルノの内閣を海洋大臣等で支え、Putera Bangsaに列せられた。氏は首都の首長を1966年から1977年まで務めた。特に芸術振興にも力を入れ1968年にはタマンイスマイルマルズキ(TIM)をオープンした。その他、ラグナン動物園、プロジェクト・セネン、アンチョール夢公園、タマンリア・ルマジャ、プルイット衛星都市、などをオープン、チョンデット地区の文化再評価やバス網の整備にも力を尽くし或いは今に続くジャカルタ生誕記念日の祭りや博覧会ジャカルタフェアーをスタートさせた。」
最大の功績は有識者50人で“petisi 50”を創立しスハルト政権に対する歯に絹着せぬ批判を行ってきたことであろう。その他上記にもれていることは ジャカルタ5地区に青年センターを作ったこと、自動車税の導入、ギャンブル税も市の開発には有効であったし、街娼をKramatTunggakに集めたこと(既に閉鎖されている)、タマン・リア・スナヤン(運営がまずいのか余り流行ってない)や学校は2,400ケ所、道路整備は1,200kmと言われ病院などKampong(村落)整備に力を入れた。法律支援Legal Aid Institute や消費者保護Indonesian Consumers Foundation (YLKI)の創設にも功績があった。写真はなくなるかも知れないスネンのガルンガン


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