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2008年5月 4日 (日)

Kyai Maja キアイ・モジョ

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昨年6月8日でディポネゴロの最後を記したがディポネゴロの軍師でもあったキアイ・モジョは1792年にモジョという村に生まれたウラマである。デポネゴロの甥にも当り、デポネゴロ戦争には一軍司令官として又デポネゴロの側近として仕えた。戦況が悪化した1828年従者共々ミナハサのトンダノに追放されJoton(ジャワ・トンダノ)と言う社会を形成した。キアイモジョはプンチャクシラット トンダノ流派を残した。ジャワ読みなのでモジョとなるが、彼の名前を冠した道路がクバヨランバルにある。パッサールミステックの前の道でトルノージョヨ通りからクバヨランラマの陸橋に向かう間である。写真はパッサールミスティック前で入り口横に一寸由緒ありそうな建物があるがなんなのかは未だ知らない。

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