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2008年5月15日 (木)

トリコラ、ドイコラ、オイコラ

スカルノの凋落への進む段階の国民に対する命令で、1961年の三つの命令、1964年二つの命令から1965年には最後を迎える。トリコラ(Tri Komando Rakyat)は オランダが西イリアンをパプア国として独立させる国連提訴を求めたことに対しスカルノは同年12月19日にイリアン開放に向けた国民の任務として① オランダのパプア国設立を失敗させること②西イリアンに紅白旗をたなびかせること ③総動員の準備をすることの三大命令を下した。少将スハルトがマンダラ作戦を担当しムルダニが落下傘部隊を指揮した。その後国連とアメリカの調停で1962年8月15日ニューヨーク協定で移譲への道筋が合意できた。ドイコラDwikoraはマレーシアとの対決が頂点に達した1964年5月3日に①インドネシア革命を維持・強化すべしと②マレーシア粉砕すべしと言う二つの命令を下し同年共産党トップ3人が入ったドイコラ内閣を組閣し益々9月30日事件への緊張が高まった。マレーシア対決はスカルノ失脚後やっと1966年になってスハルト臨時大統領・アダムマリク外相の手により正常化された。


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