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2008年5月17日 (土)

おいしい商品だったコーヒー

インドネシアは世界第3位のコーヒー生産国であるがインドネシアに最初に持ち込まれたのは1696年インドからと言われている。これにはインドネシアと関係する前史がある。コーヒーは元々アフリカ・アラビアのムスリムが愛飲していたものを欧州人の旅行者が知りヨーロッパに紹介し世界に広まったようであるがこの第一世に1614年に第3代総督の右腕であるピーテル・ヴァン・デン・ブルーフ(Pieter van den Brooke)がいる。彼はジャワ赴任の前に通商関係調査でアラビアに行った時1616年にモカ(イエーメン)でコーヒーを知りそれ以降VOCの大きな商品となったということである。
その後アラビアの支配者であるトルコがこれを妨害した為、他の生産地を求め、ジャワがその候補となり、1696年に栽培が開始され何度かの失敗を重ねながらも1707年以降採算の良い輸出品となったとある。ヴァンデンブルーフは蘭英大海戦の時、クーンが応援船隊を呼びに行った時のバタビア城留守番司令官であったが、弱体を現わし、逮捕され、敵側から味方に降伏勧告する始末であった男である。
コーヒー栽培はその後も重要な商品であり続け、1870年の強制栽培廃止も例外とされ1915年まで強制栽培されたほどである。オランダはコーヒーはオランダ人が持ち込み栽培に成功したことからオランダの所有として 過極な条件を押し付けてきたものである。現在もインスタント・コーヒーでは世界2位、アラビカ・コーヒーではマンデリン、ガヨ、トラジャなど有名を馳せたブランドがある。

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