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2008年5月21日 (水)

Soerosoは元Gondandia

チキニ地区のホテル・マルコポールから ホテル・メンテンIIに向かう道はCik di Tiro通りからSoeroso通りとなる。このSuroso通りは昔はGondandia Raya通りと言っていた。その名残がホテル・メンテンの手前にあるホテル・ゴジラである。ゴジラはGondandia Rayaの省略である。この通りの名前は正確にはRaden Pandji Surosoで彼は初代ジャワ市長3人男 Surjo、Suwiryo、Suroso の一人である。経歴を述べると;彼は1894年シドアルジョに生まれ、地方土木局員、新聞編集長を経て1942年人民参議院議員となる。イスラム同盟や大インドネシア党で活躍、日本占領時代はジャワ奉公会支部長、州長官を歴任し独立準備委員会委員に。独立後も中部ジャワ州長官、Bakin長官、50年にはナッシール内閣で労相、後55年まで歴代内閣で人事省、社会省、公共事業省を任じる。(以上シマトゥパン「インドネシアの独立の道」左藤正範氏訳より)
1950年人事相として数万の農園労働者のストライキを鎮めたり、労働紛争解決委員会(P-4) を設置した。1962年、地方分権委員会の委員となり、地方自治法の立案に参加。1966年6月ナスチオン大将が議長となった暫定国民協議会(MPRS)で最長老の議員としてスカルノ大統領の責任を追及し、終身大統領としての地位を剥奪することとなる。1972年には初めて、インドネシア公務員住宅(188戸)の建設を行った。1981年に亡くなり1986年国民英雄となる。 

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