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2008年6月26日 (木)

Hasjim NingとMochtar Riady

19日のブログのHasjim Ningの続きであるが、彼は1995年に亡くなるまでモフタールリアディ/Lippoグループとのパートナーで株主の一人であった。Lippo Bankの会長職でもあった。
息子のSorayaの教育をLiadyに預けMochtarは息子のJamesに預けて米国戦略或いはチャイナ・スキャンダルに繋がるのであろう。スハルト時代への激流にはGM・クライスラーの代理店ジャーカルタモーターやフィアットの組み立てのインドネシア・サービス社にイブヌ・ストウォを受け入れ、乗り越えたたが、同時期進出してきた日本の自動車メーカーに追われ、2000年にはフォードの総代理店であったIRMC(Indonesian Republic Motor Company)もフォード自らの設立のPT Ford Motor Indonesiaに取って代わられた。
James Riadyはハシムニンが保有していたBank Perniagaan Indonesiaという弱小銀行を2年で資産130億を1,000億に増やした。この銀行は父親のMochtarが創設したLippoBankの一部になるのであろうが、今又LippobankもBank Niagaとの合併が進んでいるようだ。以上のような断片的不確実な情報には行き当たったがLippoBankもマレーシアの他人の手に渡りあの金融危機がいくつかの頁を吹き飛ばした感がある。

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