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2008年6月24日 (火)

ヨハン・マーツオイケル総督の長命

VOCが繁栄した時代の総督ジーメンスの一人置いた後の総督でVOCの外領拡大とジャワの反乱に明け暮れた1653年から1678年までの25年間も総督の地位にいた。
1653年セイロンを占領
1657年マラバール、コロマンデル進出 ポルトガルより肉桂独占を奪う
1658年パレンバンとの衝突、胡椒の独占権を取る
1667年マカッサル ハッサンウディンをスペールマン艦隊が攻略、ボンガヤ条約で保護領とする。以前ハッサンウディンに一族を殺され恨みを持つブギスのパラッカ王の応援を得る。
1674年トルナージャヤの暴君アマンクラットI世に対する反乱が起こる。アマンクラットI世はVOCの応援を依頼。
トルナージャヤの反乱はオランダに対するイスラム民衆の戦いの様相となり、暴威を振るった。スペールマンの強硬な武力行使を認めぬ宥恕政策のマーツオイケルはその戦乱止まぬ中1678年死亡する。 マーツオイケル亡き後スペールマンは参事会で発言権を増し、強力な軍隊を派遣、ヒュルト、St.Martin、Jonkerの活躍場面となる。ここでもパラッカはブギ兵を率いて応援しマタラムが平和になるのは1681年であった。セイロンでのポルトガル駆逐戦は彼の次に総督となる武人ライクロワ・フアン・フーンスの活躍でありマカッサル・トルナージャヤ鎮圧はその後に総督となるスペールマンの活躍によるものである。彼自身は72才の長命であったがバタビアで命を落とすこととなる。それはジーメンスもファン・フーンスもスペールマンも皆同じであった。

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