« Toko Tigaと言うBakmi | トップページ | スハルト一族の富豪リスト »

2008年6月15日 (日)

Slamet Riyadiはアンボンとソロで取り合い

Sriyadi_018
北からジャティネガラに入ってくると聖ヨセフ教会の向かいの反対側に小さいSlamet Riyadi通りがある。あるいはマンガライ駅から下ってくる方が行き易い。色々軍の施設がある一角であるが、このIgnatius Slamet Rijadiは国軍准将(没後昇格)で、彼は23歳の若さで1950年11月4日に死亡。スラカルタの宮廷軍の将校の子供としてソロで生まれる。独立後の人民保安軍で第26連隊長を務め、1948年オランダの侵攻時ソロの解放に貢献した。1950年マルクのRMS反乱鎮圧にも参加した。年代からはこの時亡くなった様でもある。2007年国家英雄とbintang Mahaputera Adipradana叙勲、名前からはキリスト教に改宗したのであろうか。オランダ譲りのフリゲート艦の名前やアンボンの港の名前になっている他、ソロに同じ名前の大学がある。写真は中でも閑静な道路の奥にZeniのベンケルが見える。

|

« Toko Tigaと言うBakmi | トップページ | スハルト一族の富豪リスト »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Slamet Riyadiはアンボンとソロで取り合い:

« Toko Tigaと言うBakmi | トップページ | スハルト一族の富豪リスト »