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2008年6月 7日 (土)

Supriyadi死して司令官に 

スカルノが1945年10月9日、インドネシア国軍の最初の軍司令官(兼治安相)に任命したのがスプリヤディであるが、彼はブリタール反乱の首謀者で死亡したのか出頭せず、スモハルジョ参謀長が暫定司令官となった後 スディルマン将軍が後を継いだ。
スプリヤディは1923年生まれの東ジャワ出身でELS(小学)、MULO(中学)からマゲランの領域管理学校等に遊学、日本が占領期にはタンゲランの青年道場で訓練を受けた。1943年10月の郷土防衛義勇軍(PETA)編成の時は東部ジャワ・ブリタールの小団長(後大団長とも記載あるが..)に抜擢されていた。1945年2月ブリタールの横暴な日本人とのイザコザや或いは凄惨な労務者の監視の職務に愛想を尽かし、多くの仲間からの推されて反乱を起こした。子飼いのPETAからの反乱に驚愕した日本軍は直ちに制圧し軍事裁判で6名死刑、3名終身刑を含む55名を厳罰に処したがスプリヤディは裁判前に既に日本軍に殺されていたのか今もって不明とされている。スプリヤディは反日の英雄として一般的には高い評価を得ているが、親日友好的なスカルノが何故彼を最高位につけたのかも不思議である。国軍の歴史は2007年5月のブログ参照。初期の司令官は:
Urip Sumoharjo 中将、1945:暫定指揮官
Sudirman 中将、1945年11月:人民治安軍総司令官
TB Simatupang 少将、1950-52 総参謀長

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