« GKI Kwitang教会の歴史 | トップページ | 6月投資環境トッピックス »

2008年7月 6日 (日)

Corneliaとバタビアの貴婦人

「Cornelia.jpg」をダウンロードSka4062


現代インドネシア事情に★日本人同士の裁判その後★というのが出ていたが、バリポストに報道された日本人同士の裁判で、“かってインドネシアを舞台にした裁判争いは「おてんばコルネリアの闘い」を思い出してしまいました。”と言うことで17世紀バタヴィアの日蘭混血女性の生涯を描いたおてんばコルネリアの闘いという本を紹介していました。 日本人同士の争いの裁判は銭の貸し借りの醜い裁判であろうが、コルネリアの闘いはあくどい結婚詐欺のオランダ男に対する日本婦人の誇りの闘いである。
楽天ではこの本の著者はレオナルド・ブリュッセイ /栗原福也で売り切れであったが、丁度小生は白石広子著「バタビアの貴婦人」という本を読んでいてこのコルネリアに会っていた。白石さんのバタビアの貴婦人はあのジャガタラお春が主人公で、コルネリアの一生も随所に触れている。 コルネリアは出島の商館長ナイエンローデと日本婦人スリシア(キリスト教の宗教名)の娘(1629年生まれ)で、1939年の5回目鎖国令でジャカルタに追放され孤児院で育てられた。父親は財産を残してなくなっているので孤児院で不自由なく育ち、花も匂う20歳頃VOCの商館員クノールと結婚する。クノールは立派な商館員でVOCで出世し、又ビジネスでも財をなし莫大な財産を残し亡くなるが、次いで結婚するのが同じVOCの館員で弁護士のビターである。ビターは法のアナを付きながら名前の通りbitterlyにコルネリアの財産を食い荒らし、最後は本国での裁判に、子供達(10人とも)にも先立たれ一人、オランダで戦い無念の一生を終えた(1692年没)と言う話である。写真はクノールとの幸せな時代にオランダから招いた絵画師Coemanに描かせた(1664年)クノール一家である。拡大するとおちょぼ口の混血の美人で娘カタニーナとヘステルは1/4のみ日本の面影がある。Rijksmuseumのウエブサイトから借用した。この写真はHeukenの本にも出ているが右側の傘を持つ下男が後に1684年にオランダへの反乱を起こすスロパティである。
ビターは後に市長にまでなるが、スロパテイはコルネリアの無念を晴らしては呉れなかった。

|

« GKI Kwitang教会の歴史 | トップページ | 6月投資環境トッピックス »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Corneliaとバタビアの貴婦人:

« GKI Kwitang教会の歴史 | トップページ | 6月投資環境トッピックス »