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2008年7月18日 (金)

Lindetevesのスラバヤの建物とその後

Bankniaga
スラバヤの英雄道路のマンディリ銀行は1911年にHulswitt設計のLindeteves Stokvisの建物である。Hulseitはバタビアの設計事務所Hulswit, Fermont & Ed. Cuypersの一人である。
付属の時計台は高くスラバヤのランドマークになっている。この一帯はkalimas河、Semut駅までBibis地区と呼ばれる。
Lindetevesは商社であるが金属加工、機械製造会社である。 Bank Niagaが使用していた時代もある。日本占領時は北浜部隊が銃器、戦車の修理・保管などをやっていたそうで、インドネシアの独立ラスカルはここを占領し多くの武器を得たとか。Lindetevesはスマランが本社であったようだが、スマランにはそのその名を留めた建物はない。
一時スリヤジャヤの時代のアストラグループにPT.Lindetevesの名前があった。
Lindetevestは今日、オランダ本国の船舶その他消費財卸しのLindeteves International B.V.シンガポールのLindeteves-Jacoberg Limited(子会社への経営指導会社)などがあるが関連は知らない。

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