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2008年7月17日 (木)

ディ-メンス総督とお春の時代

ディーメンス総督は1636年から1645年まで、これも長い駐在期間の9年でバタビアで最後を迎えたが、1619年クーン総督がバンタン・イギリスを放逐して以来僅か17年でVOCの黄金時代を築いた。業績も良く高配当を実施し、占領地の基盤も1641年にはポルトガルのマラッカを占領、1642年には台湾全島を占領、バンタン港を封鎖・マタラムには対等と認めさせ、日本では出島だけであったがその地位を固めた。
バタビアの人口は9,000人、内オランダ人3,000人で市の拡張も実施した。郊外はシナ人の砂糖栽培も盛んであった。タイヘル掘割通り(Tijgergracht)やAmanusgrachtも作られ、白石さんの「お春の消息」では他にヨンカー通り、へーレ通り、マラッカ通り、郊外ニューウエー通りなどが出てくる。日本人は精悍で塩魚だけで十分とその労働力(特に兵士など)で重宝がられ、1613年のピーテルボットの時代に68名の契約移民が招かれたとのことでマダム・シオンズと言われた、お春が到着したのは1640年1月1日でディ-メンス総督にも歓迎された。お春の時代にも100人位の日本人がすんでいた。村上直次郎「17世紀のバタビアの日本人」には1632年の人口の8,058m人のうち日本人108人と出ている。

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