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2008年7月24日 (木)

スカルノ第三夫人 南溟に消ゆ

何かの時にメモしていた西木正明著の「わが心、南溟に消ゆ」を読み終えた。知らなかったが、ついこの間といえるインドネシアでは金融危機の最中の1997年から99年にかけ婦人公論に連載されたものである。
デウィ・スカルノの蔭に浮気者スカルノに舐められ浴槽に剃刀の鮮血を染め果てた周防咲子,本来なら第三夫人の毅然たる一生である。昭和9年の生まれ、日イ賠償協定の1年後の1959年、25歳の若さであった。その死亡は人知れずジャカルタ西北郊外に葬られたそうで、作品では1980年、「市街地開発事業のため。。現在は広い幹線道路になっている」と淡々と締めている。全身全霊で18歳の若さで尽くした医学生丹野、賠償商権に人身御供を画した木下産商の木下社長、キャバレー紅馬車に現れる岸首相、性的タフガイ・スカルノ、不思議な叔父大沢、これら男達の犠牲であるが、西木の描写は生半可で清々しない。死の直前、彼女が詩を書いた時の熱帯の邸宅での物憂い閉塞した気持ちが残ったままである。「蝶よ お前は私の翼 風に乗り 海を越えて 伝えて欲しい 遥かな人に わが心 南溟に消ゆと」 解説の杉江松恋はジャガタラ文を思い浮かべ 周防咲子も。。日本恋しや こいしやと泣いたのでしょうかと結んで鎮魂の積もりでいるが、スカルノはその後数年で失脚、木下産商も蔭も形もなくなったことがせめてもの救いである。住んでいたところはムントン街で高い椰子があると出ているがメンテンのスウイルヨ通りだろうか 遺骨は日本人墓地に移されたのであろうか 

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