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2008年8月26日 (火)

紅河事件当時の華僑たち

インドネシア華人の迫害の歴史の中で最初に起こったのが1740年の紅河事件が有名である。
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紅河と言うのは殺された死体から流れ出した血で河が真っ赤に(Angke)の染まったということで今でもその河はSungai Angkeと言われる。当時のバタビア近郊には既に1万人以上のシナ人が住んでおりオランダ人の飲む茶を中国から輸入する茶船に乗って移民してくるシナ人が後を立たずバタビアの町はこうした浮浪者で不安を高めていた。オランダは彼らをセイロンに労働者として送りだしたが途中海上で投げ捨てられるという噂を鎮めようともせず、居住許可書発給の賄賂を吊り上げる始末であった。市外に浮浪者が終結し緊張が高まる中、市内のシナ商店から火が出たのを蜂起の合図と見たオランダ官憲はいっせいに中国人狩に出動、奴隷や土人も加わり略奪と殺戮が1週間続きシナ人5千人から9千人が犠牲となった。中部ジャワにも多数のシナ人が住んでおりバタビアの事件を聞くや激昂し軍隊を組織し進軍、スマランを囲んだが最後は敗北した。中国人に付いたり、オランダに泣きついたりしたマタラムのパクブオノIIはオランダの要求でジャワ北海岸全てを放棄せざるを得なかった。オランダは清の乾隆帝に謝罪を入れたが 帝は国禁を犯した出国シナ人に一顧だにしなかったという。
事件後残ったシナ人は市外に居住地を与えられたがそれが現在のグロドックである。Angke河は現在では治水で大きく変わっているはずでMuaraとTubagasの二つがある。写真はTubagas Angke の方である。

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