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2008年8月28日 (木)

Siliwangi師団とカルトスウイルヨ

1948年1月のレンビル協定はオランダ占領地からのインドネシア軍の撤退条項がありインドネシアにとって非常に不利且つ危険なものであった。このとき3,500人のシリワンギシ団は西ジャワから東ジャワへ撤退を行わなければならず、その後をオランダが完全に押える危険があったのだ。移動命令を不服として抵抗した軍人達を集めてDI/TII(イスラム国家/インドネシア・イスラム軍)運動を立ち上げたのが、中央に不満を持っていたカルトスウイルヨであった。その集団はカルトスウイルヨ隊とよばれたが、49年8月にはオランダの支援も受けて建国を宣言する。更にハーグ円卓会議後の51年頃からもこの運動は南スラウエシ、スマトラ、アチェ、カリマンタンにも広がったが結局62年1月シリワンギ師団と民衆の協力によってカルトスウイルヨは逮捕され死刑となった。(志村龍太郎著 ヌサンタラ古代史より) これがシリワンギ師団の“シリワンギは西ジャワの民衆であり、西ジャワはシリワンギなり”の師団モットーとなった。Bandung_aug08_017
カルトスウイルヨ殲滅のバラタユダ・オペレーションは凄惨を極め当時の写真がシリワンギ博物館に展示されている。偶々写真に取った正面の大きなレリーフの浮き絵もそうなのかもしれない。死体をアナに投げ込む戦場の絵である。拡大してみた下さい。

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