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2008年9月30日 (火)

CTC-Pantja-ITC いすずの思い出

Kramat通りをスネンから下っていくとき右手に何か思い出のビルがある。屋上にCTCと辛うじて読める看板がある。Kramatctc10
思い出と言ってもここに何度か来たことがあったかな、ここがいすずと関係あったかなと言う程度である。80年代のいすずはアンチョールの方に事務所があったがあそこはいすずの組み立て会社Panja Motorの工場だったようである。Panja Motorの親会社は国営のPantja Niagaという商事会社でこのCTCビルに居た。多分当時こうした国営商社が10社ほどあった気がする。その内5社はオランダ時代のBig Fiveを国有化したときに付けた名前であるがPantja Niagaはミナンカバウでハッタ副大統領が1948年に設立したCTCと言う商事会社を前身会社としている。1950年頃の政府の土着資本商社育成政策であるベンテン・プログラムでCTC社も大いに得をしたに違いない。通産関係の次官をしていたDjukardi Odangが派遣されが1958年には社長になっているのでこの年にCTCが国営Panja Niagaになったのではと推定する。彼は80年代初めまでいすずの合弁会社の監査役を勤めておりインドネシアを代表する経済名士の一人であった。
Pantja Motorは商権毎アストラに買収せられ、又Pantja Niaga自体も2003年、Dharma Niaga、Cipta Niagaと共に合併させられPT. Perusahaan Perdagangan Indonesia (PPI) Perseroとなったがこの会社はITC(Indonesian Trading Comapany)としても知られている。ビルにはPantjaの名前を継承するコンピュータ会社が入居しているが、ビルの屋上の看板は未だ何故かCTCである。

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