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2008年9月 6日 (土)

Pieter Erberveldの首

Pieter_ebelfeld
1740年の紅河事件の少し前に騒乱の時代は始まっていた。そればピーテル・エルベルフェルト反逆事件である。1722年第二次ジャワ継承戦争の末期にタイ人との混血ドイツ人のエルベルフェルトが反オランダの陰謀を企てたとの奴隷の訴えから、彼ら一味を捕らえ拷問の末股引きの刑に処したものである。破壊された彼の家に槍を突き立てた彼の首を頂く記念碑を立て、永久にこの地に植樹建築を許さずとの布告が記されている。この石碑はパンゲランジャヤカルタにあったものでその後移されてジャカルタ歴史記念館の裏庭にあるのを目にしたこともあるがプラサスティ墓碑公園にもある。当時のバタビアは不穏な気配が漂い一寸した噂に動揺した事件は紅河事件にも繋がる。
60歳に近い彼は同志とされるカルタドゥリアと共に4肢を4頭の馬に引き裂かれた残酷なもので今でもその地はKampung Pecah Kulitと呼ばれる。その地は1985年以来トヨタショールームが立っている。

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