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2008年9月16日 (火)

Soe Hok Gieプラサスチ墓地公園のシナ人

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この墓地は元々オランダ人の墓地であるが中国人が二人だけ何故か混じっている。既に紹介したシナの歌姫Miss Riboetに今回のSou Hok Gieである。二人とも奥の方で地面に沈み込みつつある。彼の墓は何故かエンジェルかマリアの像で正面にかすかに
Soe Hok Gie
17 Desember 1942
16 Desember 1969
nobody knows the troubles I see
nobody knows my sorrow
と刻まれ27歳で逝ったもの哀しさが溢れてくる。
スカルノの晩年の政治に対し戦う青年の心の支柱となった活動家で、中国人圧迫の最中の大変困難な時期であったが、彼は心のそこまでインドネシア人であった。
墓名はここにあるが、彼の骨は灰となりパンゲランゴ山の頂上にばら撒かれた。
Soe  Hok Gie (1942-12-17–1969-12-16; Traditional Chinese: 蘇福義)は父親がフリーライターで細々と育ったが殆ど困難なインドネシア大学に合格し卒業後も母校(Arma Mater)に講師の職を得、学生運動を指導した。
Arma Materとは元々乳母を意味し、慈悲深いマリア様から母校まで意味があるようでそこから墓碑もマリア像となったのかも知れない。

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