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2008年9月13日 (土)

Surono将軍は健在

Surono_1
彼は独立戦争時代からの軍人であったが軍歴は不運(malang melintang)であった。オルデバル時代は政治家に転向したが今や忘れられた存在である。(detikのA.Khurnaini氏)
しかしながら1923年バニュマス生まれの85歳のSurono Reksodimejo将軍は今病気で横に臥せっている(Ter baring Sakit)もののスハルトと同じ時代を生きた、生きている数少ない将軍である。不運な軍歴と評されたが
彼はペタの軍人からガットト・スブロトの副官になり61年デポネゴロ師団参謀長、1966年デポネゴロ師団長、1978年軍副司令官から国民社会調整大臣(Kesra)、1983年にはパンガベアン将軍のあと政治・治安調整大臣(Polkam)にまでなっている。
その他ムハマディアの青年組織Hizbul Watonのメンバーで、講道館で柔道も教練を受け1957年アメリカの司令・参謀大学留学している。
デポネゴロ師団長の頃、シリワンギ師団のH.R. Dharsono、PPKADのSarwo Eddie、KostradのKemal Idrisと共にオルデラマ時代の懐刀''senjata ampuh''を形成、ジャワ師団長フォーラムで重要な役を担った。
又福祉社会調整大臣の頃スパルジョルスタム州長官と共にスマランにジャワ文化遺産のカリバタン・ミュージアムを作り彼自身1,100個のクリスのコレクションを寄付した。18世紀のバニュマス地方のものである。
その他、国際野生ファンド(IWF)のインドネシア会長、インドネシア空手道(Inkado)会長、ハメンクブオノの後を継ぎ、アリスムナンダールの前のKONIの会長を歴任している。
忘れられては居るが亡くなればスハルトと共に国家英雄となるのではないだろうか。
彼の家はナスチオン元帥の斜め前、Teuk Umar 5番地でジャワの古い作りの家のようである。

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