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2008年9月11日 (木)

Sutoyo将軍とSurono将軍 

8月25日のブログで登場願ったSutoyo少佐である。オランダの主権移譲の後オランダ軍士官であったウェスターリングはスラウエシで大虐殺をおこない(これもずっと以前に紹介したが)バンドンでも兵を上げこれが阻止されるやジャカルタへの転戦したがこちらもシリワンギSutoyo中佐率いる部隊にCipeuyuemに阻止されトラックや武器を放棄してマラヤに逃亡した。
Surono将軍の自宅はTeuk Umarにある。この通りをぬける右側に一寸伝統的作りの家があったので写真に収め、近所の人に名前を聞いていたのであるが、家に戻るといつもこの名前を忘れその後2度も確かめにいくは目になった。それほど良く聞く名前であるが似た名前も多く直ぐ混乱するのである。
今でも確信は持たないが家の前の道路を掃除していた掃除夫の話だと名前はSutoyo、85歳前後だと言うので過ってのストヨ少佐に違いないと思っていたが、この掃除夫も名前を間違えたようである。
Halim_kaum_2008_mar_022
Sutoyo少佐は後にG30Sで殺害された将軍でチャワンからボゴールに抜ける道に名が残っている。写真はジャヤし団付近、チャワンのストヨ通り。

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