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2008年9月 5日 (金)

Van Imhof総督の離れ業

紅河事件の責任者の一人でもあるイムホフはフェルニケール総督により逮捕され本国帰国を命ぜられるも本国で罪を全て彼に擦り付け自分が後任総督になるという離れ業を演じた。フェルニケールはイムホフに逆に逮捕されかって彼がシナ人を繋いだバタビア市庁の獄房につながれ7年後に死すことになる。その死の何ヶ月が前に彼の憎いイムホフが亡くなった事がせめての慰みだったかもしれない。
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イムホフが残したものにボイテンゾルフ宮殿とトコメラーがある。又ジャワ巡業中に公衆の面前でマンクブーミー王子を譴責しこの侮辱が元で第三次ジャワ継承戦争が起こり後任のモッセル総督に大変な仕事を残した。彼の墓はワヤン博物館に残っている。任期1743年~1750年

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