« 路傍のスカルノ | トップページ | 9月のインドネシア投資環境関連ニュース バアシルの動き »

2008年10月 7日 (火)

ABN-Amroの前身はNHM or NHB 

9月23日のAmro Bankのルーツの謎をやっと解明することが出来た。
NHMはウイレムI世の イニシアティブで1824年、イギリスが東インドをオランダに還付した年、VOCの蘇生を願った貿易会社を作り、ハーグを本店とし東インドに支店を展開した。東インドではDe Factorijとも呼ばれた。1830年ファンデンボッシュの強制栽培が始まるやオランダ政庁の収穫物の貿易に従事し、商社の他に銀行業も、船舶エージェントも兼業しプランテーションも保有した。1858年にシンガポールにも支店を設けたがこれが後シンガポールの最古の銀行となる。強制栽培の廃止の後1882年ごろから銀行業務に専念、1903年上海支店では上海ダラーの貨幣発行も担当した。1920年から1942年に東インド国内及び、アジア各地の銀行ネットを完成させた。
1960年在インドネシア資産はインドネシア政府の国有化に遭ったが、本店は1964年に1861年設立のトウェンテ銀行(Twentsche Bank)と合併しABN銀行となった。一方1871年設立のアムステルダム銀行と、1863年設立のロッテルダム銀行が、1964年に合併しAmro Bankとなっていたがこの両行が1991年に合併しABN-Amro銀行となっていたものである。トウエンティ銀行とロッテルダム銀行はイギリスの植民地銀行を範として東インドに支店を設立していた。またロッテルダム銀行は1960年Nasionale Handelsbankを合併していた。つまりNHMもNHBもABN-Amroで合流していたのである。Juanda_114_28
ABN-Amro Bankは本店が証券取引ビルと個人営業部門はJl.Juanada No.23にあるとのこどであるが、この間端から端まで歩いた時にも気が付かなかったので代わりのジュアンダのマンディリ銀行を掲げて、次回の宿題としよう。

|

« 路傍のスカルノ | トップページ | 9月のインドネシア投資環境関連ニュース バアシルの動き »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ABN-Amroの前身はNHM or NHB :

« 路傍のスカルノ | トップページ | 9月のインドネシア投資環境関連ニュース バアシルの動き »