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2008年10月12日 (日)

Cipta Niagaの生まれと現在

Cipta Niagaについては7月30日のブログにも書いた通りカフェバタビアの斜め後ろのビルであり、又その左手の後ろはカリブサール・チムールに面しているので2ケ所の正面を持つのかも知れない。Cipta_niaga
Cipta niagaは現在崩壊寸前である。現在この建物はITCの所有であるがITCは2003年Cipta Niaga、Pantja Niaga、Dharma Niagaの国営3商社を合併して出来た会社で現在も生きている。ジャカルタ市はこのCipta Niagaの建物をリノベートするよう要望しているが、ITCにはその資金がない状態である。崩壊寸前ではあるがこの間インドネシア映画 Ayah2 Cintaの撮影ロケーションの一つであったり、ファッションショーも行われたようであるが、最近見たこの建物はとても入れる状態には見えなかったが。。写真はダイブ前のものである。
ある住所録にはCipta Niagaは二つの住所があり、Jln. Kali Besar Timur No. 17 とJln. Pintu Besar Utaraであり、ここからもカリブサールの東通りのあの二つの塔を持つ古いビルはCipta Niagaであることが判明した。
このビルの生まれはスマトラ パダン市にもあるCipta NiagaはオランダBig5の一つInternatioであるのでここもInternatioであったかも知れない。
これについてはBig 5と国営商社10社の関係を別途しらべなければならない。 
その後の調査ではPintu Besar Utara側のビルはDharma Niagaであるちゃんとした資料もあった。(Mar.7,2017)

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