« Rafflesとライデン | トップページ | 日本占領とオランダ人収容 »

2008年10月 4日 (土)

Jembatan Merah と路面電車

ジャカルタにもジェンバタン・メラーがある。以前に本家スラバヤやボゴールの「赤い橋」は紹介したがマンガドゥア辺りに小さなGangやPasarの名前で誰にも知られずにいたがグヌンサハリにアンチョール行きのバスウエーが出来て、Kota_2008_mar_113
このマンガドゥアがグヌンサハリにぶつかる所のチリウン運河に掛かる橋の辺りにジュンバタン・メラーと言うバス停が出来たので小生の知る所となった。
ここは大昔オランダ時代にも路面電車の駅であったようだ。ファタヒラートンネル工事の時の出土品が昔の路面電車の名残だったそうで日本が占領する前まではバタビアには5路線の路面電車があった。当時の路線はジャカルタポストによるとPasar Ikan-Tanah Abang、Tanah Abang-Jembatan Merah、Pasar Ikan- Kampung Melayu、Harmoni-Menteng、Jembatan Lima-Kramatなどで、Bataviasche Verkeers Maatschappijが 1888年その前の馬車Sadoを駆逐して急速に展開したが、最初は蒸気機関車で逐次電気機関車に変わり、1960年代には早や取り壊された。
Tio Tek Hong氏の思い出では日本占領期コタからジュンバタン・メラー間の路線は取り除かれ、残ったのはジュンバタンメラー-クラマットだけだったそうである。いずれにしても遠いオランダ時代に既に都市マス・トランジットが完成していたことになる。

|

« Rafflesとライデン | トップページ | 日本占領とオランダ人収容 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Jembatan Merah と路面電車:

« Rafflesとライデン | トップページ | 日本占領とオランダ人収容 »