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2008年11月の投稿

2008年11月30日 (日)

Pekojanの生活

Pekojan_nov_08_083_2Pekojan_nov_08_072

この地区には古い住宅が建ち、中に入ると意外と落ち着いた生活がある。古くはMoor人が住み、次にアラブのモハマッド系の正統血筋のムスリムが布教し、インド商人や中国人も住み着いた民族混合の街のようだ。この地区で最も古いモスクは、 Ar – Roudhohで、貿易のために ベンガルからバタビアまで来たインドの回教徒によって17世紀の初めに築かれた。その後人口急増で中東とインド建築文化の入り混ざったスタイルの家が建ちこみ、結果一段大きなモスクAr Anshor も建てられ、現在建物自体は朽ちて来ているが、両方共今だ地域住民に使われている。どれがそうなのか解らないが最も破壊が進んでいる建物と中国人の住宅の写真を並べておこう。

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2008年11月29日 (土)

ジャワ民話ケオン マス

昨日の何気なく取り上げた写真をスタッフに聞いてみたところ「ケオン マス」(Keong Emas 金色の蝸牛」だという。Taman_mini_027
確かに写真の人物の前に金色のカタツムリがいる。ミニインドネシアの巨大立体スクリーンIMAX劇場もこれを元に設計されているのでこれもケオン マスと愛称されている。ケオン マスとは中部ジャワの以下のような民話である。
とある王国の王の妻Dewi Limaranはある日、宮殿の庭を散歩しているとき蝸牛を見たがあまり醜くて、気持ち悪かったので川に投げ捨てた。しかしそれは年老いた魔女で、魔女はこの仕打ちに腹を立て彼女に呪文をかけ金色のカタツムリに変えて同じく川に投げ捨てた。
金色の蝸牛は川を流れ下流でつりをしている老女がいてその網にひっかかった。
老女は家に持って帰って翌日目を覚ますと家が綺麗に掃除されていた。毎日朝、家が綺麗になるので不思議に思って老女は寝ないで見張ってみると、あの金色の蝸牛が美しい女性に変わり、家を掃除していたことがわかった。 Dewiは老女にいきさつを話すと老女はこの話を王様に伝えた。彼女は魔女の呪文で夜だけ元に戻ることが出来、これを解くには神聖なガメランのメロディーを奏でなければならないのだ。王様はこれを聞くと神に祈願し数日間瞑想しそして最後に神はその願望をかなえてくれ王様は神聖なガメランをかなえる事が出来、そして金色の蝸牛は元のDewi Limaran に変わった。夫妻は喜びこの老女を宮殿に住まわせることで老女の善意に報いた。
めでたし2 何を子供に教えようとするのか余り中身を感じない話だ。ケオンマスはこの伝説上だけでなく実際にも生きているようだが見たことはない。

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2008年11月28日 (金)

Pekojanのチナ寺院 Lu Pan

Pekojanに行くにはもう一つの行き方、こちらの方が解りやすいがコタのカリブサール西からジャランコピーに入り左折れてPejagalanに出て行く道だ
Pejagalanの大きな構えの古い中国商店の前で右に折れてPekojanに入っていくと小さな寺院があった。Pekojan_nov_08_075
ちょっとおかしそうな男が座っていたので中に入るのが気が引けたが、どうも奥の方に本院があるようだ。その道を先に進み運河に出て振り向くと又中国寺院が見えた。Pekojan_nov_08_079
これも写真に取って、後で考えるとひょっとしてこれがさっきのお寺の本院かもしれない。正面までは回らなかったがこれがHeritage Societyの紹介の多分Vihara Pan Keng又の名をKlenteng Lu Pan Kungであろう。小さい方はVihara Kalyanamitaと読めたので別物であったとしても二つあることになるだけである。Lu Pan寺院の方は300年も前のもので建築家で先生であったLu Panに捧げられたものである。

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2008年11月27日 (木)

国民動植物愛護の日

Taman_mini_028
ちょっと数日前になるが日曜日11月23日は動植物愛護の日であったのかラスナのニーアゲン・セラン会館で小学生を集めたイベントがあった。環境担当国務大臣主催でGembira Ria Siswa Terpadu Foundationや. Communications, Indonesia Cares for Nature (KPAi)協賛・参加を得て市内Tarakanita 5小、Al-Azhar Kelapa Gading小など10小学校から100名の小学生を集め、動植物の絵描き、トリビア・クイズ(雑学クイズ)、映写会などが行われ子供達に環境保護の大切さを目覚めさせたものであった。実際の生活の中でインドネシアのflora and faunaを見ることが少ないのでRagnan動物園やMekarsari Fruit Parkなどを充実させる必要があろう。ミニインドネシアの植物園も貧弱で且つ名前などの表示や展示彫像の関連もわからなかったことを思い出す。写真はミニインドネシアの彫像、意味不明のものである。

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2008年11月26日 (水)

Alydrusはジャカルタに来たムハマッドの子孫

コタにあるAlaydrus通りの言われについては4月17日のブログに書いたがその通りにはその昔、裕福なアラブ商人のHabib Abdullah bin Husein Alaydrusが住んでいたそうでアチェ戦争などに多くの献金をしたが世界恐慌で多くの借金を造り最後はオランダのBank Nilmijに買収され、1938年80歳代でなくなったということを養息子のこれも80歳代なのであろうかHabib Abubakar Alaydrus 翁が話してくれた内容を紹介した。Pekojan_nov_08_092
彼はPekojanのJami Annawir改修にも資金を提供したそうで、このJami Anwirを訪ねてみたが現在は荒れてモスクには見えない。Pekojan_nov_08_088
近くに小奇麗な建物があったのでこれかもしれない。Jami Anwirは1760年にムハマッドの娘Fatimahの流れの子孫 Ali Abdulah Bin Hussein Alaydrusが創建した。Luar Batangのモスク(1739年建設(4月5日のブログ参照)はAli Habib Husein bin Abubakar Alaydrusが建設した。Alaydrusは共通名であるが全て家族か子孫なのであろう。

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2008年11月25日 (火)

PekojanのLanggar Tinggi

北のオランダの旧蹟の建物が立ち並ぶKali Besar Baratの西側はRoa Malaka地区でその更に西側がPekojan地区である。ここに行くにはプルイットの方からJembatan Tigaのフライオーバーに出て左にコタ方面に向かう道Bandengan Utaraを取り突き当たりのJl.Pejagaranに出て最初の右折れ道に入るとPekojanである。この道は左左と曲がると逆コの字でPasar Pagi Flyover下から又Pejagaranにでる。Pasar Pagi Flyoverの手前にひときわ大きいオランダ風の建物がある。Pekojan_nov_08_099
リノベされて綺麗になっているが左端にMesjid Langgar Tinggiの看板が出ていた。この建物は1829年築で中国とポルトガルの建築様式の混合である。というかオランダ風にも見える。Langgar Tinggi は川の横に位置するため洪水を警戒し高い建物になっているが同時に宗教的な機能をも高めている。
市の歴史財産として指定されているにも拘らず一階はコンピュータの店とアラブの香水店の地元の企業家によって賃貸に出されている。 指定された建物であっても自らの維持資金は自ら工面させられているのである。Mesjidは左端の一部だけの小さなものであった。

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2008年11月24日 (月)

最近のインドネシア生活

ここ20日間のブログは惨憺たるものである。死刑執行後の報復電話の連続と領事館の緊急電話連絡、、ルピアの意味のない下落に手を拱くままの状態、アパートの引越しと20年弱のゴミの廃棄の問題、この生活をbindする新規契約への決断等々でついついブログがおろそかになった。そしてここまで来た今、テロの脅威は忘れての毎夕飯の為の外出が続き、計算放棄の相場任せの成り行きで、両替トコエマスで110万ルピアに騙されそうな気になり、日本語の大量書籍とビデオをアパート購入者に進呈したが当然捨てられ、顧客会社の原価計算分析で頭を悩ましている。
しかしインドネシア人の金持ちも、日本人シェフが居なくなったあの店のスタッフ達も、小生と同じここ4年で19回も往復している友人も、小生が来ると日本に帰る彼も、誰も彼もが全てを飲み込んで変わらぬ生活をしている。

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2008年11月22日 (土)

バンドンBragaのBioskop

Bandung_aug08_056_2
オランダ人闊歩していた20世紀初頭、オランダの農園主はバンドンをリソート地として開発しバンドンはジャワのパリと言われるようになった。彼らはバタビアから女性やビジスマンを引き連れ週末バンドンに訪れた。Braga通りはカフェ、レストラン、ブティークなどがそろったプロムナードであった。と言うその中に映画館がある。昔Teater Majesticと呼ばれた1925年のたてものである。弟のRLA Schoemakerのデザインでアールデコとスンダのスタイルが取り入れられている。当時はその形状からビスケットの缶(Blikken Trommel)と呼ばれブラガの遊興のセンターであった。スンダの香りと行っても二階の正面の上の方に飾られている魔よけの大きなお面(Raksasa Penjaga)のことであった。

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2008年11月21日 (金)

VOCの倉庫群

コタの北、ファタヒラー広場から北のパッサール・イカンの船の監視塔の方向の地区は何故か討ち捨てられている。Tongkol
監視塔からファタヒラーに戻るジャラン・クニールまでの道はJl.Tongkalで、又監視塔の一寸北から左に道を取るJl.Lodan Rayaの道など、多くの中国人の働く地区は古い倉庫群が散在する。1600年代から1700年代に掛けて、建てられたものの如しで当時はインドネシアの輸出商品であった米、大豆、ピ-ナツなどを集荷・保存する倉庫であったが現在は殆ど使用されていないようだ。寂れた街をさらに寂れさせている。

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2008年11月20日 (木)

ケンタッキー VS マクドナルド

インドネシアのケンタッキーフライドチキンは来年40店舗オープンする予定であるとのニュースがあった。今年9月までに27店オープンし既に334店展開しているそうである。売上げ金額からいくと今年2兆ルピアが来年は2.4兆を目論んでいる為2割の伸び率である。
インドネシアでのフランチャイザーはPT.Fast Food Inonesiaで上場企業であるが44%はPT Gelael Pratama、36%はPT Megah Era Raharjaなので上場比率は2割に過ぎない。
一方マクドナルドはバンバン何某が保有で95年進出で108店舗とあるが公開データは少ない。
日本ではマクドナルドが3,700店、ケンタッキーが1150店で両者とも頭打ちかも知れない。マクドナルドは世界121ケ国で35,000店とあるので日本はその1割に相当する。不思議な話であった。

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2008年11月17日 (月)

Beaux Arts ボザール派芸術

11月2日にブログでジャカルタのバンク・インドネシア博物館のデザイン説明でBeaux Artsの流れの影響を受けたネオクラシックと紹介したが、このボザールと言うのが何となく解ってきた。Bimuseum01
パリの国立美術アカデミーであるエコール・デ・ボザールのことで、歴史を辿るとルイ14世の時代、360年前になるが、1648年ルイ14世が建築家の養成のため美術学校を設立せしめ、ローマ留学制度を設けるなどギリシャローマの古典主義建築を学ばせてきた伝統がある。革命王制復古のあと国立美術学校(エコール・デ・ボザール)が設立された。18世紀後半のグリーク・リバイバルは欧州では新古典主義へ更にアラビアやルネサンスを取り入れた折衷様式ネオグレコや新しいアールヌーボーなどのモダーン化の時代になったが、逆にアメリカは建物の正面に列柱を配した古典主義が流行、日本にも明治生命館や三井本店にも取り入れられた、これをアメリカン・ボザールと言う。どうもインドネシアBIの様式はこのアメリカン・ボザールの流行と時期を一にしている。
Beaux ArtsとはFine Arts或いは単に芸術の意味で他にアントワープ王立芸術アカデミー(Academie Royale des Beaux-Arts d'Anvers)はファ一ション業界の政界の3大校の一つと言われる。写真はBIジャカルタのBIの裏カリブサール側のリノベ用の合成写真だそうである。これはsatanindito ブログから借用しました。

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2008年11月14日 (金)

Cikiniのアスクリンド

Cikini Raya を通っていると目にするのが、小さいが何か由緒ありげなウイースマがある。Askrindo_067
看板に大きくAskrindoと書かれているので何たるかはすぐわかる。正式にはPT. Asuransi Kredit Indonesia (Persero) –でインドネシア中銀が55%保有する政府系信用保証会社である。但し中小企業向けであるので日系には馴染みがないのかもしれない。元々建設保証から始めたようで1971年設立、保証残高は2.34兆ルピアとある。

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2008年11月13日 (木)

Bentara Budaya / Rumah Kedus

何時でも登場できると思っていた建物があった。未203mar02
消化であったため登場が遅れたといえるが、ここはよく展示会などをやっているのでその内行けると踏んでいたのがそうでもなかったからでもある。Heritage Societyの解説ではKompas誌を発行しているGramedia社が1982年に建設した施設で美術品の展示兼保存館である。施設となっているこのクドス地方の家そのものがGramediaの蒐集の最大且つ最も価値あるアイテムとの事である。この建物は中部ジャワ・クドゥス市のFurqon家から購入しこちらに移設したもので、屋根の形状はペルシャとジャワと中国のスタイルを現している。釘を使わないチーク材の施工は現在職人も少なく保存に金が掛かる。カーブを見せる造りはバナナとタバコの茎を腐らせて抽出した液で毎年塗りながら維持する。内部の紹介などはそれこそ次の展示会などを待とう。何かないと一般公開はされてないようだからである。場所はパルメラーのGramedia本社前で、HeritageではGelora 8と9の間と書かれているが地図を見るとGelora 7であった。

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2008年11月10日 (月)

インドネシアのコメ生産好調

中央統計局発表では2008年の米籾(GKG)生産量を上方修正し始めて60百万台に到達する模様である。2006年のGKGは54百万で2007年57百万となり、2年続きの6%弱の伸びを記録した。それまでは2000年に52百万であったので微々たる伸び率であったものである。米の生産は1984年に自給を達成、それまで億ドルの外貨が必要であったため画期的なことであった。その後それを維持しつつも1997年から1998年には通貨危機、旱魃、農薬不足から輸入に転落、2001年に再度自給を達成した歴史がある。 つまり2000年の生産52百万で自給達成していたものである。ここまでいくと輸出が可能かも知れない。
担当官の話だと稲作面積の向上(195.98千ヘクタールへ)と ヘクタール当りの収穫量増加(170kgへ)によるとの事である。明るいニュースとして提供しておこう。

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2008年11月 9日 (日)

バリテロ死刑執行の後

今朝早く、バリボンバーのイマムサムドラ、アムロジヌラシム、アリグフロンの3人の死刑執行の大使館ニュースに起こされ081109brazia
雑誌の原稿書きで1日が終わろうとしている。 テレビも10年の耐用年数で壊れているので街の様子も解らない。2-3携帯で聞いてみると、普通と変わらないみたいであり、最後の一人は飯食いに行くのでどうですかと言う。そうなるとブロックM密集地帯より一軒はなれて独立したネシア系がいいのであろう。
インドネシアの埋葬はフルスピードで墓場に運んでいる風景に良くぶつかる。死刑囚の場合も空けやらぬ時間に夫々のふるさと、東ジャワやバンテンに運ばれ最後の別れの後埋葬される。報復があるとするとその後であり、怖れるとこれは何時止むとも知れない。愈愈アメリカの金融恐慌より怖い社会不安と暗い世の中にならなければ良いがと思うもののなすすべもない。このようなときに神に祈るのであろうが。。
写真は車両検査Raziaで警戒レベル1の風景、SCTV Liputan6より借用

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2008年11月 8日 (土)

オランダ建築 20世紀初頭の特色

Petamburan_nov18_003
20世紀初頭のバタビアはオランダ人が急速に増加、それにつれてオランダに順応する標準近代建築が花開いた。一般的に1900年から1920年代の建築特徴は
*正面に切り妻・破風(Gable)を持っている。その形状はバリエーションがありペデイメント(pediment+ entablure)、曲線(curvilinear Gable)、stepped gable、 腰折れ(gambrel gable)などである。* タワーを持つ。塔は丸いものから四角形や正面のGableとコンビネーションを取るものなどがある。* 建物の長さ一杯にギャラリー又はセランビを持つ。(廊下・通路)、* 屋根裏部屋(Dormer)を持っている。* 換気の為、内部は広く天井は高い。
ただ全てを持っている建物は少なく写真はガイセルズのPelniの病院であるが、木の茂みに半分隠れているがペディメントはあり塔も持っているがギャラリーがあるかどうかは判らないが屋根の形状からあったと思いたい。
カリブサールのサムデラビルはギャラリー、塔はあるがペデイメントがないようだ。

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2008年11月 7日 (金)

Vihara Tanda Bhakti 証献寺

コタのパンチョランの奥、左に折れてトコ・ティガ前の橋を渡り運河沿いにTambora 通りを少し下ると運河の向う側に大きな中国寺院のドラゴンが踊る屋根が見える。Fukuoka_glodok_048
この屋根のおかげでこの寺院の名前(漢字は当て字)を突き止めることが出来たわけであるが、1650年まで遡ることが出来るそうだ。ここはグロドックであるので、グロドックは1740年の中国人虐殺事件(紅河事件)以降中国人の町になったと言うことから考えると、寸おかしい気もする。紅河事件の100年も前に既に中国人が住んでいたことになるが取り敢えず認識を新たにしておこう。
中国寺院は裕福な中国人の御蔭か古くても綺麗だ。何度もリノベされているのであろう。

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2008年11月 6日 (木)

最近の投資環境関連ニュース

11月
* ポルノ規制法、紆余曲折の末国会で成立、コタでは既に踊り子逮捕
* バリ・テロ実行犯の死刑執行控え、各地で爆弾騒ぎ頻発
* アセアン憲章成立、アセアン共同体へ

10月
* 世界金融危機対策:貿易強化、予算の利用見直し、社会保障の強化、国営企業の資金管理、既決プロジェクトの迅速な実施、国債買戻し、日韓中との通貨スワップ、12.5兆ルピアの税制優遇措置、世銀が対イ・スタンドバイローン50億ドル、BIへの最低預け入れ義務率7.5%に引き下げ、銀行預金の保証上限、20億ルピアに引き上げなど矢継ぎ早
* バリ・テロ死刑囚3人問題。バアシルも「死刑執行ならイに大惨事」と報復暗示。
* 首都の来年最低賃金Rp1,069,865、今年より10%増
* アストロ、有料TV放送、撤退
* 国際競争力調査、順位下げるイは134カ国中55位

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2008年11月 5日 (水)

インドマルコ 「改正所得税法 邦訳」の御案内

インドマルコの同上案内チラシより
「2008年改正インドネシア所得税法と注解」が出来上がりました。

「2008年改正インドネシア所得税法と注解」  全66頁 Rp700,000

この他、新刊本ございます
「インドネシア付加価値税期間申告書記入ガイド」 全46頁、Rp400,000
「ジャカルタ道路の英雄・偉人名」 全123頁、Rp260,000

「インドネシア 企業経営」 月間10回のメール配信付 08年10月号販売中 Rp800,000
「インドネシア企業経営」購読者には20%割引、上記料金に10%の付加価値税が加算されます。

発行:PT. Indomalco Info Center
Plaza Sentral 3rd , Jl.Jend.Sudirman No.47,Jakarta 12930 Indonesia
TEL: 570-9768(直通), Fax:570-9769 , E-Mail: risa@indomalco.com
ホームペイジ:www.indonesialink.net/indomalco/

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セレヴ Nadia Saphira

この間会ったセレブリティに登場願おう。Nadia Saphira さんで。会ったのは東京映画祭の時、10月21日だったか、Nadia_safila
彼女にしてみれば丁度 二十歳を過ぎた1日目だったのである。ジャカルタ生まれであるが出身は知らない。何処であろうと不思議なことに女性は全てインドネシア人の良さを持っている。
下に演じた映画のタイトルをあげると
1. Dibawah pohon (2008) 、Under the Tree (International: English title)
2. Coblos cinta (2008).、Vote for Love (International: English title)
3. Cintapuccino (2007)、
4. Coklat stroberi (2007)、Chocolate Strawberry (International: English title)
ガリン・ヌグロホ監督のDibawah Pohon に出て、東京映画祭で東京に来ていたのであるが、東京に来れて本当に嬉しかったと素直に喜んでいたのが可愛いかった。

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2008年11月 4日 (火)

月刊誌「インドネシア企業経営」10月号

インドネシアの会計・税務・輸出入手続き等下記の記事の10月号($100/月)が発売中である。詳しくは下の住所に或いはメールアドレスrisa@indomalco.com又はk2433@attglobal.netに照会下さい。
今月の税務法令アップデート
今月の経済法令アップデート  
会計原則 113(リース会計 2007改訂 2)
ASEAN憲章とSEAN共同体時代へ
米金融危機に対するセーフティネット
インドネシアの投資優遇税制
投資優遇の業種と地域
2008年輸入関税の政府負担
住民登録の手順と条件の見直し
労働紛争中の賃金の支払い
所得税納税不足決定書翻訳
CEPT原産地証明の新規定
会社許認可チェックリスト
今月の労働関連トピックス
08年5月新経済パッケージ~中小事業編
バイオ燃料の利用促進と事業許可
2008年9月度 下旬 政治・経済トピックス
2008年10月度 上・中旬 政治・経済トピックス
物価・貿易統計2008年10月発表
橋本政彦 「明日の街角34~一服のお茶」 
柘海広志 「羽黒フォーラムにて(3)」
西見恭平 「蘭領インドの建築概論」
今月の月次経済指標 2007-2008トレンド
今月の会計・税務用換算レート
今月の為替株式金利の動き

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2008年11月 3日 (月)

プラサスティ展示会とMchiles将軍

一寸時間があったのでプラサスティ墓地公園に行ってきたところ現在 隣の茅屋で展示会をやっていた。主要なお墓のカタログなども入手できるので暇の方は行かれると良い。
Prasasti_michiels_08aug_7
前回のMonumen Michielsでは彼のお墓の写真が後回しになったので今回アップロードする。丁度ラッフルズ夫人のお墓の近くで将軍と思えないほど小さいものであった。
カタログによると生まれはオランダのマーストリヒト、1797年生まれで1849年亡くなっているので若干52歳であった。17歳から軍隊に入り、1817年にジャワに派遣され、中部ジャワ、チレボン、北スマトラ、西スマトラを歴戦し最後はバリ攻略時の1849年5月25日にクルンクン王国の兵士たちの攻撃に遭い戦死した。この重責と功績に対しオランダ政庁はウオーターループレイン(現ラパンガンバンテン)に記念碑を建設したとある。

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2008年11月 2日 (日)

Javasche Bankのバタビアとバンドン

Javasche Bankのバタビアとバンドンは設計家もデザインも少し違うようであるが同じようでもある。下に比較してみる。Bandung_aug08_029
バンドン
設計家:Edward Cuypers、1917年(Her Suganda、Jendela Bandungより)
デザイン:Imperial Styleの影響を受けローマの列柱、ペディメントを持ち左右対称である。
ジャカルタ
設計家:Ed Cuypers en Hulswsit設計事務所、1907年以降5回リノベ、第2回リノベではFermont Cuypers(博物館資料より)
デザイン:Beaux Artsの流れの影響を受けたネオクラシック
とある。
設計家としてここに3名の名前、Ed. Cuypers、Hulswit及び Fermont の名前がで出るが彼らはよくパートナーを組む設計事務所のようでスマランの1921年建設のHVAの設計は Marius Hulswit, Fermont & Ed. Cuypersとなっている。
HulswitはスラバヤのLendetevesも手がけているが皆バタビアの設計家である。ジャカルタのGreja HayamはCuypers and Hulswit設計事務所である。結論として、バンドンのBIもジャカルタのBI(博物館)も同じ設計グループと言えようか。
又デザイン面でジャカルタのBIはローカルの色彩があるとの博物館の説明であるがこれは内部の装飾などであろう。特に正面から見たデザインはGrandeurを誇るImperial風で列柱の配置などネオクラシックで基本的には同じ作風と言えるのかもしれない。写真はバンドンの正面、バンドンは4方向に正面があるのだろうか。前回10月24日のは横の正面である。そういえばジャカルタも中庭を囲む四方の建物があった。


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2008年11月 1日 (土)

Javasche BankのBI博物館

2月28日のブログで現在のコタのBI(現在博物館)の歴史は触れたがこの建物の設計にもその歴史がある。
Java_bank_indonesia_053
この建物の場所はバタビア城の中に位置し、Binnen Hospitaalが建っていたがそこでJavasche Bankは営業していた。 Bank であるが天然資源の取引、その中にはKaca Kaca Patri(ステンドグラス?)も含んでいたとの事であったが手狭になってきた1909に最初の拡張リノベーションが行われた。拡張リノベは5段階あり、基本的にEd Cuypers en Hulswsit設計事務所が手がけたが第1段階のリノベはEcole des Beauxから発信され当時ヨーロッパで流行となったBeaux Artsの流れの影響を受けたネオクラシック風のデコレーションである。この中でローカル色も取り入れた最初の建物と評価されている。第2段階は1922年の拡張でオランダから輸入した緑のセラミック・タイルを貼られ現在Ruang Hijauと呼ばれる会議室等が作られた。この設計はFermont Cuypersである。DordrectのLIPS会社が鉄ねじで強化し、2重の壁をもつ貯蔵室を作ったのも一連の拡張である。第3段階は現在のBank通り側及び運河側に逆L型の長い建物が建造されたがこの段階で完全にBinnen Hospitaalの残滓はなくなった。第4段階は1933年Ruang Khazanah(金庫室)、最後に1933年正面の見えは質素に作りなおし、真ん中に荘厳なunitが作られた。それ以降は今年博物館となるべく化粧直しされている。設計事務所の名前はパートナーとの関係で若干変更があるようであるがジャカルタのこのBIもバンドンのBI(10月24日ブログ参照)も設計者はEdward Cuypersの名前で共通である。 写真はジャカルタのBI博物館の左がBank通り右が運河側の角を臨む。

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