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2009年1月の投稿

2009年1月31日 (土)

Tanoe テレビ会社監査役や法務高官でも汚職まみれ

Hartono Tanoesoedibjo こんな一寸難しい名前は一度聞くと頭に残っており、いつかどこかで聞いたなぁと、辿ると案外トレースできるものだ。インドネシア テレビ界の大立者Hary Tanoesoedibjoの弟である。彼らはRCTI、Global TV及びTPIのテレビ局を保有するPT. Bhakti Investamaの監査役である。
HartonoはPT Sarana Rekatama Dinamika (SRD)のオーナーの一人であるがSDRを巡る4,000億ルピアのスキャンダルの容疑者で、検察庁が国外脱出の禁足令を出し喚問せんとしたときには既にシンガポールでメディカル トリートメントを受けていた。SRDは法務省の会社設立や法的事項の変更等の認可管理システムであるWebsite(www.sisminbakum.com,)のビジネスパートナーである。
このシステム運営で得られた手数料は政府の税外収入で国庫に入るべきところを使い込んでいることが発覚検察の調査を受けているものである。
スハルト一族の弁護士でも名前を馳せた、彼の弁護士Hotma Sitompoelは禁足令が出る前にHartono は出国していたと主張、政府はいつも容疑者を取り逃がしている。
この件では、法務管理総局長であったRomli Atmasasmita、彼の後任のSyamsuddin Manan Sinaga 及びZulkarnain Yunusが収賄の容疑で取りざたされている。

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2009年1月30日 (金)

Vihara Padumuttara タンゲランのコタチナ

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MLEK総集編はIMLEKのその日に訪れたタンゲランの仏教寺院である。ジャカルタからダーンモゴット通りでタンゲランに入りどんどん突き進むとチサダネ河に掛かるムルデカ橋に至るがこれを渡らず更にJl.Samaunを南に取る。Mesjid Agungや小さめの州議会を通り過ぎていくとバンテン州長官公邸が右に現れ、そこで車をおりとその横は既にKota Cinaである。汚いマーケットの間の小さなGangを100mも行かないうちにお線香の匂いがそこらじゅうに充満してお寺がすぐそこなることを教えてくれる。
このお寺はBoen Tek Bio又の名をVihara Padumuttara、と言う。このお寺は1805年に建てられここもやっぱりKwan Yinに捧げられているそうだ。慈悲の女神の観音さまだ。その他にも多くの神が祭られているが右側にはKham Lam Ya 左側にKwan Gung(戦の神)がある。観音様の誕生日?である中国暦6月19日はお祝いの日で賑わう。12年ごとの祭りは殊に盛大で3つの神を出し車に乗せた行列が街を練り歩くそうだ。貧困者に小銭を振舞うこともせずそこを後にした背中に視線が痛かった。

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2009年1月29日 (木)

IMLEK 再考

IMLEKとは旧正月のことである。旧暦とは陰暦が元になっているのでIMLEKのLEKは暦のことに間違いはない。IMが陰であるかは確認できていない。現在の旧暦とは正確には太陰太陽暦と言われ閏月で調整し太陽暦に近づけている。この閏月と24節気が考えだされたのが約2600年も前の春秋戦国時代ゆえIMLEK 2560年の開始はこの太陰太陽暦が生み出された時点から数えていると思ったが、それより紀元前551年とは孔子の生まれた日である。従い中国の旧暦は孔子暦とも言われる。太陽暦(西洋暦・グレゴリー暦・新暦)とは1ケ月から45日程度遅れている。旧正月を忘れているのは日本と多分北朝鮮だけのようだ。24節気は1年を24に分けた15日程度の節気があり冬至がその基準である。冬至とは普通昼が一番短い日で12月22日だったかと思う。基準と言ってもここが旧暦の新年となるわけでなく、冬至―小寒―大寒―立春―雨水―啓蟄-春分と続く流れの中で春分の約45日前或いは雨水の前の新月の翌日が春節である。古代では冬至が正月であったが戦国時代になると冬至の翌々月を年始とする夏正(夏暦)が採用されるようになり、これにより冬至と春分の中間点が正月すなわち春の最初の節気にあたるようになったことで「立春」と名付けられ、これが春節:立春正月であろうか。
この旧暦を宇宙暦と言う人もいる。太陽―月―地球が一直線に並ぶ日を正月とするので月が宇宙の時計の針になぞったもので、たしかこの26日インドネシアでは皆既日食が見られた。
孔子が儒教の始祖であるが何故中国暦は孔子暦なのか、文化大革命のときは儒教も排撃されたがそのときは
孔子暦の数え方も中断していたのであろうか、それは未だ知らない。

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2009年1月28日 (水)

IMLEKの暦の不思議

昨日のImlekの続きである。小生はタンゲランの中国寺院を見た後、午後はクマヨラン・ゴルフ場に行ったがプレーしている人は我々以外では一人くらいしか見かけなかった。ゴルフクラブから無料グリーンフイーなどVoucherが入った「福気満門」と書かれた赤い包みをもらったガこれがAng Pau(紅包)のお年玉であろうか。
ImlekをgoogleしてもImlekと言う言葉が何処から来たものかさっぱり判らない。Vietnamにも春節はあるので出張中の友人にメールするとVietnamではTetと言いImlekとは言わないと返事があった。どうもインドネシアだけの言葉のようだ。今年はIMLEK 2560年であるが、この2560年の意味もわからないが西暦に直せば紀元前551年となり春秋時代である。中国のこの旧暦:太陰太陽暦が固まったのは春秋戦国時代の初めというからそこから起算しているのであろう。ヒジュラ暦など陰暦はお月様の満ち欠け(周期29.5日)で月を定めるので1年12ケ月は354日で太陽暦に比べ毎年11日遅れで季節が動く。ヒジュラ暦はこの調整はしないので33年後にやっと同じ季節に戻ってくる。太陰太陽暦は3年程度で調整(閏月)するので毎年季節は同じ頃である。去年のImlekは2月7日であった。陰暦の月の1日は闇夜の新月から満ちていく最初の日である。春節の終わりはこの月が満月になる15日目で終わるがそれをCap Go Mehと言う。それだけ長く休むこともできないが中国では3日間が休みである。正月3が日と同じである。
小生が最初に迎えたイスラム暦のレバランは1980年8月であったので次のレバランが8月となるのは1980+33=2013年、未だ4年もある。一寸した記録なので頑張ろう。

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2009年1月27日 (火)

IMLEK春節を祝う華人社会

昨日、陰暦の中国正月はインドネシアの国民祝日で、3連休も手伝い街は大変な賑わいである。前夜零時にはジャカルタ中彼方此方で花火が打ち上げられ、規模は小さいながらも個人単位で打ち上げているのも多くその広がりには感心する。Fx_mall_2Gonxi_facai

喜捨を行う裕福な華人商店の前に長蛇の列が出来ているのも眼にしたがアチコチの中国寺院の前にはお年玉をもらいに来た乞食でごった換えしている。
スハルト時代の32年間、禁止された中国文化・言語は2000年ワヒッド政権で自由化され、次いで2002年メガワティが国民祝日に制定した。華人人口も全人口230百万の4%、10百万に達している。民族を超えた通婚や新たな華人の流入でプレゼンスも年々高まっており、イスラム過激団体は恭喜発財Gong xi fa caiの挨拶を禁止したり気が気でないようだ。華人実業家も居心地の良いインドネシアで金融危機を落ち着いて見つめ稼業に励んでいる。先進国発の経済後退を中進国が吸収する図がここインドネシアで出来上がりつつあるのではないだろうか。
翌日の新聞を見て驚いた。パッサールバルーで火事があり130戸消失したと報じていた。花火で家まで燃やすとは豪勢である。

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2009年1月26日 (月)

一度は泊まりたいホームステイ Wisma Garminah

ジャカルタで最も古いが余り知られてない地区のKampung Baliにホームステイ形式の旅館がある。Kpg_bali_019
伝統的ジャワ文化の香りを残し、何よりも格安料金である。オーナーはジャカルタの最初の市長であったSoemarno Sosroatmodjoの息子さんKarma Widjaja Sosroatjmodjo夫婦で親父さんはスカルノと友人でよく高位高官を泊めていたのがビジネスの始まりとか。Karmaさんは外国旅行者との交友・情報交換やインドネシア文化の紹介が好きで朝食にインドネシア料理nasi liwet(ココナッツミルクで料理したライス)やnasi rames(テンペなどを添えたスチームライス)を供している。Kpg_bali_016
家の中は家具、装飾品、美術品など1920年代の玉手箱のようである。お泊り28万から35万ルピアの部屋がある。Garminahと言う名前が遠い記憶にあり、間違ってもいいから行ってみようと出かけてみた。クブンシリ通りをタナバンに向かう所で1ケ所だけ左手の運河を越える橋がありそれを越えてKampung Baliに入るとすぐそこにWisma Garminahがあった。見当を付けた通りであった。90年代の初め頃、ここには同じ名前のレストランがあり、民族舞踊を見ながらのビュッフェ形式だったので1度だけお客を連れて行ったことが頭の隅に残っていたのである。電話は3193-5716である。

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2009年1月25日 (日)

PluitのViharaのおまじない

Pluitのモールを囲むPluit Raya通りの西側の道、Pluit Barat RayaはもうPluit地区の西のはずれ然としているがそこに仏教寺院がある。Pluit_nikon_6_3
Pluitが新しい中国人地区であるのでこのお寺も古くはなくほんの1970年代中頃である。このお寺はジャカルタお寺がどこもそうであるようにGuan Yinを祀っているが、本尊はGuan Diだそうである。観自在菩薩なら観音様と同じはずであるが、赤ら顔の戦の神だという。両サイドに脇侍をはべらしている。祭壇の奥にはBHAKTISALAという広い集団お祈りもできる部屋があるそうなので正面は小さいが奥は広いようだ。Pluit_nikon_10_2
お祈りのあと大きな紙の蝋燭に日を灯し野辺にさしていた。中国人は日本人よりお祈り・おまじないの仕掛けがこっている。

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2009年1月24日 (土)

天ぷら料理法を褐炭上質化技術へ

少し古いニュースだかジャカルタ新聞に載ったかもしれない。インドネシアの低品質の褐炭を火力発電用石炭に使用できる上質化する技術を日本の技術者が発見した話である。これは重久(?)さんと言う方が家庭でテンプラを揚げる料理法からヒントを得て石炭に含まれている水分を除くことに応用したものである。簡単に省略して言うと塩水でボイルし溶けた石炭を水の中で洗い、ケロシンでフライ仕立てにしたとかいうものである。
現在この技術は日本とインドネシアの両経済或いはエネルギー鉱山省の機関の支援で、カリマンタンでデモ・プラントが運転される運びとなった。
インドネシアは50億トンの石炭埋蔵が発見されているがこの58%が20%~40%のモイスチュアを含む褐炭である。輸送中に燃焼を起こしやすい欠点もあるが一方硫黄分が少なく環境フレンドリーである。
この石炭上質化プロジェクトには神戸製鋼とPT.Bumi Resourcesの子会社PT.Arutmin Indonesiaでパートナー協定を締結している。

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2009年1月21日 (水)

SMA Ricciの金徳院界隈 

春節で賑わうPetak Sembilanに行って来た。コタ・パンチョランの奥の金徳院である。Dsc00182Pluit_062

あの近くに古いSMAがあるはずなので行ってみたわけである。今回もタンボーラの裏から近づき、それらしいところで歩いてみたが、新発見もあったが又不思議な疑問点を残す訪問であった。SMAは路地を抜けたところに広い駐車場がありその向うに教会の屋根風のそれらしき建物があったので、聞くと駐車場の奥から左に曲がり更に左に曲がると学校だというので行ってみると確かにそれはあった。その日は何か行事があり、多くの人で賑わっていたが、何故か日本語の「ようこそ」の垂れ幕があった。この学校はカトリック系のSekolah RICCIと言う名前で幼稚園からSMAまでの一貫教育を行っている。何故ニナリッチのRicciなのかはわからない。この日、金徳院の裏手にも回ったので位置関係がわかったがこのお寺がJl.Kemenangan III/97で中国建物の聖マリア・デ・ファティマ教会がIII/47でSekolah Ricciが教会の隣りであった。つまりL字形であるこの道にこの3つのHeritageは背中あわせや肩寄せ合って建っていたのである。ファティマ教会では宗徒限定のバザーをやっていた。その前にある祠はTanda Bhakti寺院の裏手入り口だと思って、その路地を入り正面のKrukut川に回ってみたがが何故か本院は忽然と消えていた。

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2009年1月18日 (日)

ジャラン・ガルーの思い出

大昔の話になるが小生が住んでいたクバヨラン・バルーのJln.Galuhはスディルマン通りの側道がピッザ・マンの当たりで回りこんでパッティムラ通りから更にパサラヤデパート方面に下るすぐの所にあるが、そこで左の中に入り込む人は少ないので殆どの人が知らない。Scti_056

小生も住んでいた時代にガルーがどんな意味があるかは知らないまま4年も住むことが出来た。
Galuhとはインドネシア古代史に出てくる王の名前である。
丁度5世紀~6世紀のタルマネガラ王朝と8世紀のサンジャヤ王朝の間に存在した王・王朝の名前で、中部ジャワのサンジャヤからタルマネガラに攻め入り、結果タルマネガラはスンダ王国とガルー王国に分裂しサンジャヤ王朝に服した。余り有名でない地名でジャカルタ周辺でいくつか道路名になっているところもあるがむしろ、バンドンからジャワに向かう所のスンダの町の名前の方が有名である。当時カルテックスの部長が小生の家のオーナーで、奥さんが今でも、実業で名前を挙げている。今考えると殆どボロ家でドロウボーが塀を登り裏庭の自転車やゴルフバックを盗んでいったことがあった、前に小公園があり緑深い地域にあるその家自体は昔の面影はなかった。

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2009年1月17日 (土)

Blok-Mスクエアーとバス・ターミナル

最近オープンしたBlok Mスクエアーの正面玄関横には広々とした地下が空いておりここから隣のモールやバスターミナルへも歩いてゆける。Bas_017
一度バスウエーを利用しBlok-Mに降りたがカキリマの間に人々が右往左往する地下に回らされ地上に上がった所も迷路状で外に出るまでポケットの財布を押えたまま大汗をかいたことがある。今はBMスクエアー地下からだけでなくそのまま地面で繋がって一切の屋台・カキリマ・キオスクが排除されている。
Dscn9737
つまりBLOK-Mモールから入っても遮断する店がないので真っ直ぐ行けるようになっている。インドネシアの強権の振るう様はすごい。 一昨日は千里レストランが有利になったと書いたが、キラキラ銀座の前も、昔ボーリングがなくなったのは残念だが、こちらも広々としている。スクエアーのB1がこれら貧困商人を収容するはずであったのがそこに入ったのは殆ど居らず、いずことも消えているのである。民間ではこうは行くまいがジャカルタ市のお役所がやると未だお上の意識があるのである。

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2009年1月16日 (金)

Bidadari 天女とBasuki Abdullah

スカルノ大統領はITBの建築学を専攻しバンドンには彼の設計した住宅が今もあるそうだが、彼は絵画家でもあり、美術愛好家でもあった。彼の絵画のコレクションは現在Misi Studio と言うところでデジタル化し保存・公開しているが、中々彼の好みを表わしたものが多い。Djoko_taroabasuki
写真もその一つで、日本各地に残る天女の羽衣のインドネシア版で、画家はインドネシアを代表する巨匠Basuki AbdullaでタイトルがDjoko Taroである。これはスンダ地方の天女物語であるがジョコタロと読むとインドネシア人は理解してくれない。
幾つかのバージョンがあるようで 「アルビーのインドネシア語教室」というブログでは登場人物の名前はAryo Menakである。このブログではこの1月11日の記事になっており、小生の頭によぎった時期が奇妙に一致している。話は男が水浴みしている女神(Bidadari)の一人の着物を隠すまでで、続きはこれからあると思うのでそのブログを訪問下さい。

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2009年1月15日 (木)

Block-M スクウェアーのオープン

Blok(インドネシア式綴り)-Mで長く工事中であったショッピング・モールがオープンした。Blok_m_square
Blok-M スクエアーと命名され、これでBlok-MにBlok-Mプラザ、Blok-M モール、Blok-Mスクウェアーの3羽が揃い踏みとなる。ここは昔アルデロン・プラザがあったが汚い・暗い・臭いの3K地区でこのプラザの中も回りも1,500もの小さなキオスクが密集する迷路を形成していたが2005年8月、火災を発生させ全てを取り壊し今日の形に持ってきたものである。建設中に外に出されたキオスクで雑然としていた千里レストラン前のあの道は今はこれらキオスク・カキリマも一掃され広々とした道路になっている。オープンしたと言ってもCarefourが2~3階にキーテナントとして入っている以外は未だほんの一部しか入居していない。7階、6階が駐車場、5階がレストラン・フードコートのはず。その他は小さなキオスクを収容する予定で小さな小間のつくりで5mx5m程度のスペースでは2小間を使うことになろうが年間130百万ルピアの家賃となるようだ。 以前居たキオスクはベースメントが予定されてはいるが購入ベースではRp32 百万/m2以上なので、かなり困難。むしろ今までの例(例えばTanah Abang)ではもと居たキオスクは結局排除され、New comerに置き換わる。元の低クラスからミドルクラス以上に持って行きたいのが開発主体の狙いである。開発主体はDKI市の自治体企業 PD Pasar Jayaと民間大手Agung Podomoroである。その内スペースも埋まるだろうしそうしたお客が日本人街たるBlok-Mにもやって来て、殊に駐車が出来ず大変の混雑が予想されるがいずれにしても 日本レストランには恩恵があるような気がする。日本人街Blok-Mは屋台などで占領されているものの広い歩道が作られているので窓をオープンにしたカフェなどがはやるのではないだろうか。

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2009年1月14日 (水)

ジャカルタTIMのプラネタリウム

チキニのTIMタマン・イスマイル・マルズキにあるプラネタリウムは何時以来になるか随分と行ってない。天文に趣味でもない限り何度も行くところではない。
Pelanetarium_tim_j_047
満天に輝く星はホロスコープに星座として描かく事ができる。 この天宮図を人工の天球に映し出しギャラクシーや惑星の四季や時間の移り変わりを見るのがプラネタリウムで、プラネタリウムというのは惑星であるPlanetを語幹としているようだ。地球も太陽系の惑星の一つである。惑星とは太陽など自ら燃えている恒星を巡る星で太陽系の周りには8つとか9つとか或いは12個の惑星があるなど学説も分かれている。このTIMのプラネタリウムはCarl Zeissの直系22メートルの天体レンズをもっているそうであるが何せ1969年のオープンであるので、技術的には劣るで゙あろうしその後の宇宙の新発見などに付いて行ってないかも知れない。説明もインドネシア語であろうからちんぷんかんぷんかもしれない。此処で単語をどうぞ。Tata Suryaとは太陽系、Planet惑星、Komet彗星、Asteroid 小惑星、Gerhana Bulan月食、Rasi(constellation)星座、mitos神話。
TIMのプラネタリウムでは撮影の時間も1日4回程度であるので電話2305147で確かめるのが良い。
この厳しい時代、宇宙の世界に遊泳することは大きな癒しとなるでしょう。

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2009年1月13日 (火)

フェリー沈没、200数十人の命絶望か

インドネシアで又フェリー沈没の大惨事が発生した。飛行機事故も記憶に新しいがフェリー事故は2006年末のジュパラ沖の650名乗船の沈没事故以来か
この船はスラウエシのパレパレからカリマンタン サマリンダに向かう船でサイクロンのモンスーン荒れ狂う明け方の海に一瞬に沈没したようである。
22名が救助されたが、危うく近くの竹やバナナの房に捕まり命びろいした人たちである。インドネシアはフェリーの酷使で古いフェリーが多いがこのテラタイ・プリマ号は10年船暦なので古い訳でもないが気象庁の警告を無視し出航した人災である。

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2009年1月11日 (日)

夢と消えるジャカルタタワー

クマヨランにゴルフに行った序でにジャカルタ・タワーの建築予定地に寄ってきたが広大な敷地はぐるりとコンクリート塀で囲まれて中で何をやっているか判らなかったが多分工事は中断しているが如しであった。
Kemayoran_nov06_094
その昔は日本も少し絡んでいたタワーだったが1996年には愈々デザインコンテストが行われ進行する予定であったが、金融危機とスハルト政権崩壊と共に露と消えていた。2004年にはスティヨソ知事のリーダーで新しいコンソーシアムが組成され国家プロジェクトとして工事再開のテープカットが行われたはずであるのに、2年ほど前に此処を通った時は深い湖が出来ていた。つまり基礎部分建設の為大きく掘り下げていたところに雨水がたまり、ジャカルタで最大の青く透き通った淡水湖となっていたのである。それから又2年以上経っているのに何も立ち上がっていない。
ジャカrタ・タワーはタワーとしては世界一の高さ(558メートル)で現在のカナダのCN Tower(553m)や上海のOriental Pearl Towerを抜く。 デザインはアメリカの設計会社がコンテストは受注したがコスト面からOriental Pearl Towerを設計した中国のECADIという研究所のデザインを使用することとなっていた。スハルトの開発三部作とパンチャシラとムルデカの数字を織り込むことが要求され、これこそスハルトの名前を残す建築物になるものであったろう。2004年の再開はBethany Church Group(Abraham Alex Tanuseputra,:開発主体のPT Prasada Japa Pamudjaの会長であり、Indonesia Bethany Church Congress.の会長)のマネジメントで基本はメデイア・ITの使命の他にクリスチアンセンターとなるものとされていた。今年が建設完了予定の年でありこの時点では世界一であるが2011年になると818メートルのデュバイタワーなどが建てられ世界5位に落ちる。今度の世界同時不況で産油国も中国も今大変のことになっているのではないだろうか。ジャカルタは未だ建たなかった事で胸を撫で下ろしているのかもしれない。

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2009年1月 9日 (金)

12月投資環境関連トピックス

*  出国税、NPWP保有者は免除、非保有者はRp2,500,000(空路)Rp1,000,000(海路)となる。
*  来年7月からコメ輸出:食糧公社Bulogが見込み。
*  ルピア安値 7年来の底から戻しへ
*  ILO:貧富差拡大 70%、49.67百万がインフォーマルセクター又は小企業、所得60万で1/4
*  鳥フル 113人目死亡、ウイルス変異の疑い。一方で2014年撃退表明
*  米生産好調、6%アップの34百万トン、自給率達成
*  アルカイダナンバー2、アイマン・ザワヒリ、テロ犯処刑に報復決意表明
*  不法滞在外人狩り、膨大な必要許認可のチェック手入れ  問題提起で延期
*  4百万の公務員の半分は未だ不適確。公務サービス調査。
*  航空法成立、航空会社に対する厳格な安全基準運用、違反罰則強化(5年の刑)でICAOは歓迎
*  社会福祉法、福祉団体の登録
*  観光法国会通過:業者登録、規範・環境・住民尊重
*  教育法人法、新鉱業法、最高裁判所法案も国会可決。
*  速道路の冠水対策車線(8km)が完成、試験的通行開始

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2009年1月 8日 (木)

Vihara Tanda Bhaktiの正門

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11月7日に書いたVihara Tanda Bhakti 証献寺 であるが、ここに行くには、中国寺院の中で一番有名な金徳寺の裏から回って行く方法もある。8月22日に紹介した中国教会Santa Maria Fatima Church の前当たりにこのお寺の入り口があるのである。つまり裏側の運河沿いのTambora通りから見える屋根の仏教寺の入り口、多分正門がこちらである。入り口は小さいがその路傍にこれまた小さな祠があり、中年の中国おばさんが買い物の帰りにお祈りをしていた。つましい中国人の生活ぶりに一寸心をうたれるものがあった。このお寺の元を辿ると1650年まで遡るというから、中国人はもうこの時代にこの辺たりに住み着いていたことになる。

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2009年1月 7日 (水)

アストラ・ジャーデン・慕情の3人ウイリアム

今度のジャカルタ行きは初めてキャッセイを使う。JALの高価格には、その下位にれっきとしたキャセイと言う航空会社が半額という低価格で提供している以上逃げ出さざるを得ない。JALのマイレージは6往復しないと1往復取れないがキャッセイは1回で取れるという計算になる。キャセイは当然香港経由であり何となく手にした香港の旅行案内であるが、Scan10130
友人とビクトリアピークに登り、レパルスビーチを歩き、ビクトリアハーバーの船に乗ったのはもう10年も前になる。ビクトリアピークといえば高校生のときよく歌ったLove is a Many splendored thingの慕情と言うアメリカ映画を思い出す。ピークから手を差し伸べるウイリアムホールデンとジェニファー・ジョーンズの淡い着色のポスターだったように記憶する。
英国との混血の中国婦人ハンスーイとアメリカからの特派員との不倫の愛である。妻の許しも得られず、終には戦火の朝鮮に派遣されそこで戦死するというあらすじである。ウイリアムホールデンの映画は他に「戦場に掛ける橋」や「ピクニック」もありこちらの主題歌も青春の思い出である。彼は晩年は呼吸器官疾患で、アルコール中毒気味で泥酔転倒で亡くなったが、小生自身気をつけなければと思う次第。
インドネシア第1の大企業グループの創始者 ウイリアム・スリアジャヤのアストラは、ウイリアム・ジャーデンが作った往年の名企業ジャーディン・マセソンに買収され、香港を今の隆盛に導く基礎を作ったジャーディン・ウイリアムは故郷に帰ったあと田舎の政治家程度だったようで、3人とも晩節がぱっとしなかったといえば間違いだろうか。

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2009年1月 6日 (火)

Prapatanのマンションと手工芸Dekranas

プラパタンの本屋GenungAgungの前は海兵隊であるがその海兵隊とチリウン河の間にDewan Kerajinan Nasionalと書かれた看板が立つ邸宅がある。Badankerajinan
住所はPrapatan No.42、ここを1858年に訪れたAugust Willem Philip Weitzelは“1858年のバタビア:首都の映像スケッチ”と言う著作を著し次のように述べている。
“我々はKoningsplein(現在のモナス)からプラパタンの橋にやって来た。チリウン河がここウェルトフレーデンからノルトウワイクへ曲がりくねっていく。この左手に美しい別荘が立ち並び中でも左手の大きな”Kwitang住宅“がある。ココナツの葉が和やかな風にゆっくり上下して、多くの果樹の濃い緑の葉の中に青い雲が巻き上がる”
WeizerはDen Haagに1816年に生まれたドイツ系の男で1846年に第10歩兵連隊中尉、1857にウイレム軍事政権でナイトに叙されランプンの反乱鎮圧に参加。1873年でデフリース内閣の軍事大臣である。1896年中将となっていたが敗北している。
この邸宅は正面ギャラリーに双つの柱が8本、ドアが4つ、後ろには5つのドア窓、内部の間仕切りのドアーが11ありその上部のに取り付けられた結果20もある明り取りファンライトが美しい。
建設は1850年頃でオランダ人が住んでいたが独立後1950年に政府が取得した。何時からかは知らないがこの邸宅は第2代の副大統領のハメンクブオノ9世の住宅となり、後ろの建物は1980年に設立された政府の全国手工芸品協議会Dewan Kerajinan Nasional (DEKRANAS)が使用していた。スハルト失脚後、アクバール・タンジュン官房長の時代にこの邸宅を明け渡す話が出て、ハメンクブオノIX世が亡くなった後の40日経たないうちに、息子X世達はここを政府に明け渡した。Dekranasはスハルトの長女のTututが理事長をやっていたが今は大統領夫人のようである。3月6日がDekranasの日。実際の手工芸品に興味があればIndonesia-handicraft.comに沢山出ている。

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2009年1月 5日 (月)

2008年IPOと2009年も元気良く

資本市場・金融機関庁ではIPOルールを変更し世界不況の影響を防ぎたい IPOをする企業はBapepamの許可を得た後実施まで3ケ月の準備期間が与えられる。目論見書もBapepamの許可後発行すれば良い。2009年のIPO実施見込み企業数は15社としておりPT Krakatau Steel 、PT Garuda Indonesia、 オイル・ガスのサービス会社PT Prime Petroservices と通信ネットワークサービス会社PT Power Telecomを含んでいる。
取引ボリュームの目標値も2008年の1日当たり4兆ルピアから2.75兆ルピアに引き下げた
最近のIPO企業数は2005年の8社から2006年13社、2007年25社と伸びてきていたところ2008年は目標30社が19社となった。19社の中にはAdaro ResourcesやBayan Resourcesの石炭会社を含み、又マンダリンホテルを含んでいるのでホットする。それにしてもこの世界不況の中15社目標は大胆である。発行者の意向も、投資家の見込みも余り考慮してなく元気付けのための掛け声だけかもしれない。

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2009年1月 4日 (日)

月刊誌「インドネシア企業経営」12月号

インドネシアの会計・税務・輸出入手続き等下記の記事の12月号($100/月)が発売中である。詳しくは下の住所に或いはメールアドレスrisa@indomalco.com又はk2433@attglobal.netに照会下さい。
インドネシアの 今月の税務法令アップデート
インドネシアの 今月の経済法令アップデート  
インドネシアの 会計原則 115(リース会計 2007改訂 4)
インドネシアの 租税条約における受益者について
インドネシアの 通関シングル・ウインドウへのアクセス権
インドネシアの 2009年州別最低賃金速報
インドネシアの 2008年投資環境トピックス 兼重大ニュース
インドネシアの みなし所得の計算例
インドネシアの 国内石油燃料価格の長期推移
インドネシアの 新会社法におけるコミサリス制度
インドネシアの 2007-08年発行の労働関連法
インドネシアの 既婚女性のNPWP取得
インドネシアの 08年5月新経済パッケージ~インフラ編
インドネシアの 天然資源 ニッケル
インドネシアの 今月の労働関連トピックス
インドネシアの 出国税免除申請書
2008年11月度 下旬 政治・経済トピックス
2008年12月度 上・中旬 政治・経済トピックス
物価・貿易統計2008年12月発表
橋本政彦 「明日の街角36~イルミネーション-光と影」 
柘海広志 「メリークリスマス!!」
西見恭平 「バクリー家の憂鬱」

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2009年1月 3日 (土)

BI 子会社Indoverの最後と国内銀行の現状

大分前にBIインドネシア中銀に子会社が三つあることを知り、ブログに取り上げようと思いつつ時間が過ぎていくままについこの10月にその一つが倒産してしまった。Merdeka_08_rasuna_018
インドーバー銀行である。
他にAskrindo(信用保険 Asuransi Kredit Indonesia)とコンサルタント会社PT Bahana Pembinaan Usaha(BPUI)があり、Askrindoは既にブログに取り上げ済である。Indover銀行Indonesische Overzeese Bank NVはアムステルダムを本店とするオランダ法の銀行である。何故BIがこのような銀行を保有せねばならなかったかは面子だけであったのかも知れない。この銀行は1827年にオランダ植民地の中央銀行として設立されたもので、その資産を国有化したものである。国会は中銀にこのような子会社を持つことを反対してきたもので、今回Indoverが$92百万のデフォールトを起こしたが、この救済にはBEIなども手を上げたが、結局国会の承認が得られず見殺しとなった。インドネシア中銀の信用失墜と見られてもしょうがないだろう。インドネシア国内銀行ではついこの間Century銀行救済で国営化したが、これは米国発の危機の影響と言うよりそれ以前の経営不手際であろう。国内銀行は現在10月末時点で126行あるが、内資本が1,000億以下が22行、Carが12%以下が21行、不良債権率5%以上が19行あるという。どの銀行かわからないのが不気味である。
Indover銀行のインドネシア事務所はこのBIDAKARAの中にある。

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2009年1月 2日 (金)

NPWP促進と出国税廃止

この1月から悪名高い出国税が変わる。納税者番号(NPWP)保有者は免除となり、保有してない場合はなんとRp2,500,000と2.5倍に値上げされる。 直前には3百万になるなどの恫喝で既に日本人駐在者は殆どNPWPを保有しているので免除となる朗報ではある。免除となるのは免除決定書が必要とあるが事前に手配する必要はなく今ま通りのカウンターでNPWPカードや家族証明等を提示すればステッカーがパスポートに貼付されるので簡単といえば簡単であるが、いずれにしろカウンターで手続きのため並ばなければならない。旅行者は自動免除なのでこの手続きはいらないが、インドネシア国民はNPWPの有り難さを感じながらまじめに税金を納付する遵法国民の誇りを与えようということである。
このNPWPは2011年から廃止することも併せて決定され、この2.5百万というペナルティ課税は2年間のみと言うことであるが、悪名の序でに嫌な役目を負わされたことになる。

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2009年1月 1日 (木)

2009年は平和な年か インドネシア宗教リーダー

Merdeka_barat_alazhar_011Kasedral_ursulaイスラエルのGaza攻撃で既に375人の死亡が確認された。ジャカルタではHIのサークルでイスラエル地獄へ行けのデモ隊が荒れ、SBY大統領も国連に出動するよう要請、又3百万ドルの支援も約束した。1年前には来イのアッバス指導者にFatahとHamas間の仲裁を申し出たこともあり、その際にはインドネシア宗教界のリーダーも同席したことがある。インドネシアには6つの宗教が公認されておりその時同席した人はHasyim Muzadi(Nahdlatul Ulama )Siti Chamanah (イスラムMuhammadiyah)、Romo Benny S. (キリスト教Bishops Council of Indonesia)、Jan S. Aritonang (Indonesian Communion of Churches)、Amidan (Indonesian Ulema Council)Nyoman Tjakri A. (Parisada Hindu.)であった。
Kintokuin_nov06_013
Mar26_2006_wahid_marini_osasis_bunk
他にリーダーとしてはGusDur元大統領、A.A. Yewangoe (Indonesian Communion of Churches)、Julius Kardinal Darmaatmadja (Jakarta archbishop)、Ahmad Syafii Maarif;(前Muhammadiyah会長)、 Sri Pannavaro Mahathera (Buddhist's Persamuhan Agung Sangha Theravada Indonesia)、Xueshi Djaengrana Ongawijaya (the Supreme Council of the Indonesian Khonghucu :Matakin)各氏がいる。今頃のHIサークルは年越しのカウントダウンでびっしりの人々が新年を祝っている。平和な年であらんことを記念して幾つかの礼拝所の写真で新年を飾ろう。

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