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2009年1月18日 (日)

ジャラン・ガルーの思い出

大昔の話になるが小生が住んでいたクバヨラン・バルーのJln.Galuhはスディルマン通りの側道がピッザ・マンの当たりで回りこんでパッティムラ通りから更にパサラヤデパート方面に下るすぐの所にあるが、そこで左の中に入り込む人は少ないので殆どの人が知らない。Scti_056

小生も住んでいた時代にガルーがどんな意味があるかは知らないまま4年も住むことが出来た。
Galuhとはインドネシア古代史に出てくる王の名前である。
丁度5世紀~6世紀のタルマネガラ王朝と8世紀のサンジャヤ王朝の間に存在した王・王朝の名前で、中部ジャワのサンジャヤからタルマネガラに攻め入り、結果タルマネガラはスンダ王国とガルー王国に分裂しサンジャヤ王朝に服した。余り有名でない地名でジャカルタ周辺でいくつか道路名になっているところもあるがむしろ、バンドンからジャワに向かう所のスンダの町の名前の方が有名である。当時カルテックスの部長が小生の家のオーナーで、奥さんが今でも、実業で名前を挙げている。今考えると殆どボロ家でドロウボーが塀を登り裏庭の自転車やゴルフバックを盗んでいったことがあった、前に小公園があり緑深い地域にあるその家自体は昔の面影はなかった。

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