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2009年1月21日 (水)

SMA Ricciの金徳院界隈 

春節で賑わうPetak Sembilanに行って来た。コタ・パンチョランの奥の金徳院である。Dsc00182Pluit_062

あの近くに古いSMAがあるはずなので行ってみたわけである。今回もタンボーラの裏から近づき、それらしいところで歩いてみたが、新発見もあったが又不思議な疑問点を残す訪問であった。SMAは路地を抜けたところに広い駐車場がありその向うに教会の屋根風のそれらしき建物があったので、聞くと駐車場の奥から左に曲がり更に左に曲がると学校だというので行ってみると確かにそれはあった。その日は何か行事があり、多くの人で賑わっていたが、何故か日本語の「ようこそ」の垂れ幕があった。この学校はカトリック系のSekolah RICCIと言う名前で幼稚園からSMAまでの一貫教育を行っている。何故ニナリッチのRicciなのかはわからない。この日、金徳院の裏手にも回ったので位置関係がわかったがこのお寺がJl.Kemenangan III/97で中国建物の聖マリア・デ・ファティマ教会がIII/47でSekolah Ricciが教会の隣りであった。つまりL字形であるこの道にこの3つのHeritageは背中あわせや肩寄せ合って建っていたのである。ファティマ教会では宗徒限定のバザーをやっていた。その前にある祠はTanda Bhakti寺院の裏手入り口だと思って、その路地を入り正面のKrukut川に回ってみたがが何故か本院は忽然と消えていた。

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