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2009年2月12日 (木)

Adam Malik忘却の彼方へ

一寸前に反響を呼んだアメリカのジャーナリストTom Weinerの著作“ Legacy of Ashes, the History of CIA”にアダム・マリクがCIAのエージェント(スパイ)であったと言う内容があったので皆良く知っているものだと思ったがMalik_museum_ruin_1
デポネゴロ通り29番地のアダムマリク博物館は廃墟になっていたのだ。何時でも又訪問できると思って何度も通りすぎていたのであるが、暇で行き先に困った小生が帰国1日前に訪問したときこの博物館は閉鎖され既に屋根に草が生えるほど茅屋化していたので肝を潰してしまった。どうも2000年には既に閉館されていたようで、数日前にブログに登場したテレビ王 Harry Tanoeがこの不動産物件を購入していた。
マリクはスハルト時代に外相、国会議長、第3代副大統領まで上った男である。
確かにスカルノの容共政策時代にスカルノイズムに帰れという保守団体BPSを作ったが逆にスカルノに禁止されたこともあり反共の旗手ではあった。
アグン・ラクソノ国会議長はこの本を禁止手続きを取り、カラ副大統領はマリクは社会党系のムルバ党の創建したので不可能だと否定し、スダルソノ外相は西側のメディアはCIA妄想でその影響を過大に見たがる。昔ハッタもマディウン事件で同じ言いがかりを浴びたとコメントしていた。しかしこのミュージアムはもともとスハルトからの贈り物でマリクが住んでいたが彼の死亡後ミュージアムになったものの多分スハルト失脚以来政府の財政支援もなくなったようである。何があったのであろうか
この博物館は彼の数々のコレクションや贈り物などが展示され殊にインドネシアの大画家Basuki Abdullah、Affandi、Sudjojonoの作品もあった。ポルセラン類はファタヒラー博物館に移転した。
弊ブログの06年6月の英雄の像のプラークのスカルノの言葉“英雄を尊ぶ国家は偉大である”は何処に言ったのであろうかとLIPIのAsvi氏も嘆く。

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