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2009年2月の投稿

2009年2月28日 (土)

タンゲランの中国人大邸宅の解体

これもいつか行けると思って念の為取っていたJakarta Postの記事の「Unprotected Chinese, Indisch buildings razed in Tangerang」の話である。Sp02c_tangerang
掲げたJakarta Postの写真は中国建物であるが、これが二日前のMy Burogの続きである。記事によると
カラワチ地区でチサダネ河の川岸にあるこの建物は100年以上前のもので、建築学的にも文化的に貴重な遺産であるとして保存を求める声もむなしく解体されつつある。この中国風の建物に面するインディッシェ・スタイルの建物も同じ運命を待っている。
現在のオーナーがこれを売却する話が進んでいるからである。土地が約220億ルピア、建物が7.5億で別々に売られている。 建物の方は土地の造成を担当する建築業者が買い取りバリ或いはポンドックグデーのコレクターに売ることで、その取り壊し部材をトラック3杯分既に運び出した。
この18世紀に建てられた建物は中国人の理事Oei Djie Sanが保有していたものでその子孫はタンゲランから去っている。ジャカルタの古文書館の保存に関わった建築家のBudi Lim氏は、保存するにもタンゲランは何の法的権限がない。このタンゲランの土地のお蔭で裕福になった人達はその土地にお返しをすべきだとぶちまけた。この記事は昨年7月のものであり、先のブログの通り小生が目にしたのはこの中国建物とコンプレックスを構成するIndische スタイルの建物であるので、あれから9ケ月も経つこの2月時点ではこれは残っているとことになる。保存の声が聞こえたのであろうか。Wikimapiaで上空から見ると確かについ最近までこの2haの緑深い中心にコの字とEの字が組み合ったようなコンプレックスが確認できる。通り過ぎたときは確かに後ろにあるはずの中国建物は見えなかった。今度写真をとりに行っても何もなくなっているだろうからJP誌の写真を借用した。5
河に面するメインの中国建物はmahandisyoanata氏の.multiply.com ブログで味わえる。

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2009年2月27日 (金)

Gunawan Yusufの成功の鍵は

20日のMy Brogで登場したKoran JakartaのGunawan Yusufには次のような過去がある。昔のニュースから興味本位にポイントを伝えるが裁判の内容などはインドネシアの裁判自体が不可解な部分もあり当事者に聞かないと判らない。判らない話のサンプルとして読めるように工夫した。
Sugar Group Company(SGC)はランプンで精糖を営む三つの会社GPMとSILとILP及び蒸留酒工場ILD社を持っているサリム・グループの会社であった。98年の金融危機で政府がサリムグループのBCAに注入したBLBIの回収の為、BPPNがサリムの資産管理統制のため設立したHoldiko Perkasa がSGCを管理することとなった。BPPNは後にSGCをPT.Garuda Panca Arta(GPA)に売却した。この売却は競売で行われTrimanunggal、Yanatera Bulog及びMakindoがコンソーシアムを組んだこのGPAが勝った訳であるがこのGPAのMakind以外の当事者は去ってGunawan Yusufが保有するMakindoが残り、結果彼がSGCを保有することになった。 更に後2006年丸紅が融資したSILの工場建設資金の返済が滞ったため裁判となったが、SGCは逆に丸紅が結んだ融資契約の解約賠償の為数億ドル以上を払うことを要求し報復した。この融資契約はサリムグループがBPPNに売却した会社を再取得する為に締結されたものである。この契約ではGPMの資産はSILとILPが丸紅に負う債務の担保として使用され、同じくILDの資産もILDが知らないうちに丸紅の担保になっていた。代理戦争とも見られるサリムのトップであるアンソニーサリムとGuanwan Yusufの裁判は熾烈なものであったが結局Anthonyが敗訴している。これが二人が今、メディア発刊で敵対する背景である。彼は今インドネシア砂糖生産の2割を占めるMakindoグループを率いている。


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2009年2月26日 (木)

割安暖かバンドンのホテル リスト

昨年 久し振りにバンドンのホテルに泊まった。リスト最後のSany Roseである。Bandung_aug08_140
そこでもともと作っていたリストをアップデートした。持っていたリストは10年以上も前のものであったがリストメンバーは殆ど変わらず、電話番号が8桁になっている程度である。料金に幅があるものは下の値段は信じがたいがホームペイジから拾ってみた。
一番感嘆するのはChediホテルであろう。緑深い渓谷の側でデジタル画面を見る3Dの風景を楽しめる。バンドンの華僑のイルワンさんがブッキングしたので料金は多分100万以上であろう。
金融危機後の苦しいときはTrioなどを利用したが一桁万ルピアだったと思う。サボイなども30万であった。最近は少しは上がっていると思うのでこの料金は目処にしかならないと思う。 Chediは名前を変えているようであるが街の中のホテルもいい。その中間がSany Roseかもしれない。近くに日本の鳥元やカラオケもある。
Sheraton Inn **** Jl.Juanda 390 2500303 Rp. 275.000 s/d Rp. 4.455.000
Hotel Panhegar **** Jl.Merdeka        4233386 Rp. 313.672  s/d Rp. 653.400
Saboy Homan **** Jl.Asia Africa 4232244 Rp. 260.000 s/d Rp. 1.500.000
Grand Preanger ***** Jl.Asia Africa 4231631 Rp465.000 s/d Rp. 4.000.000
Papandayan**** Jl.Gatot Subroto 7310799 Rp. 450.000 s/d Rp. 650.000
Hyatt Regency ***** Jl. Sumatera No. 51 4211234 Rp. 285.000 s/d Rp. 4.750.000
Topas Galeria Jl.Dr.Djundjunan 6070274 Rp. 397.350 s/d Rp.778.500
Santika Bandung *** Jl.Sumatera 4203009 Rp. 294.700 s/d Rp. 569.300
Chedi *** Malya Jl.Rancabentang 56 2030333 Rp 1juta lebih
Horison **** Jl.Pelajar Pejuang45 7305000 Rp. 300.000 s/d 6.500.000
Perdana Wisata Jl.Sudirman 66 4238238 Rp. 400.000 s/d Rp. 1.800.000
Hotel Imperial Jl.Dr.Rum No.30 4202244 Rp. 338.800 s/d Rp. 1.004.300
Holiday Inn Jl.Juanda No.33 4211333; Rp. 325.000 s/d Rp. 435.000
Royal Palace *** Jl. Lembong No 21 4208373 Rp. 237.000 s/d Rp. 528.000
Mutiara Jl.Kebon Kawung 4200333 Rp. 138.750 s/d Rp. 330.000
Trio** Jl.Gardujati 55 4203779 Rp. 140.000 s/d Rp. 360.000
Hotel Royal Dago Inn Jl.Juanda169 2502200 Rp. 175.000 s/d Rp. 415.000
Jayakarta Bandung Jl.juanda 381 2505888 Rp. 393.000 s/d Rp. 3.508.000
Grand Aquila Jl. Dr. Djunjunan 116 2039280 Rp. 580.000 s/d Rp. 5.000.000
The Ardjuna Boutique Jl. Ciumbuleuit 152 2031328 Rp. 75.000 s/d Rp.295.000
Gumilang Sari Jl. Dr. Setiabudhi 323 2012608 Rp. 200,000 s/d Rp. 375,000
New Sany Rosa Jln. Hegarmanah 2A 2033562 Rp 400,000

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2009年2月25日 (水)

タンゲランのカントリーハウス

1月末頃、タンゲランからジャカルタに戻るときタンゲランのKota Cinaから南下したが、運転手が道に間違いいつの間にかチサダネ河を越えておりイマム・ボンジョール通りを下ることになったが、そこのトック・ウマル通りに左折する所に一寸興味を引く古い建物が目に付いた。Minggu_040
まさに道路に面している所で、僕の趣味を知っている筈の運ちゃんが行き過ぎるのを慌てて止めて取った写真がこれである。
道端でカキリマを引く果物売りに場所や名前をやっとのことで聞き出してメモしていたのであるが、真偽に疑問もあったためうっかりなくしてしまっていた。今日何気なくナビゲートしていたらMy Odysseyにこの記述があるのを見つけた。時期も同じ頃、興味を同じくした感慨があったが彼の調査は徹底している。それによるとこの建物は大きなコンプレックスの一つになっており、主たる建物はどうも裏手に当るチサダネ河にあるようだ。写真の方は18世紀末のインディッシェ・スタイルでオランダ風建築にジャワのデザインを加え、熱帯の気候に適した形式を取っている。大きな屋根とオープンギャラリーがそれである。柱はトスカーナ式である。オランダスタイルは2階建てであるが、これは1階建てである。19世紀、この当たりはゴムのプランテーションが盛んであり、この住宅は中国人の地主のもので、現在はその子孫が地元の人に住んでもらっているとの事である。
昔パルメラーにRumah Jepanと言うカントリーハウスがあったことをHeuken氏が記しているが、同じインディッシェ・スタイルの唯一の遺産である。この発見の偶然性には続きがある。

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2009年2月23日 (月)

中傷批判に要注意 表現制限法の数々

2008年成立の電子情報伝達法(ITE Law)に対し表現の自由侵害の訴訟が起こされている。メデイアやブロガーが他人を誹謗したり、中傷したりするケースは違反に問われるというものである。情報大臣は例として部族、宗教、人種、社会グループ、即ちインドネシアで昔からSARAと言われる関係の中傷で怒りを巻くことを上げた。 又ブラックメールの送信も当てはまる。
この違反では最高10億ルピアの罰金が貸されることになっている。提訴したグループは定義が明確でなく拡大される恐れがあり、憲法が保障する表現の自由に抵触するとしている。最後は憲法裁判所にまで行くものと思われる。
またインドネシアの最近動きとして選挙法の改正、情報の自由に関する法でも表現の自由を制限する条項が問題となっている。選挙法では選挙関連ニュースの記述法、TV等の放送、キャンペーン宣伝の制限があるが、違反者への罰則の決定は選挙管理委員会とプレス協議会との協議によるとされている点から表現の自由の侵害には至らないと強弁している。
汚職や健康・環境に著しい影響のある事項を漏洩する公務員の保護を定める「情報の自由に関する法律」は政府の情報発表に公的利益性をあげ、制限による侵害より公共的利益が大きいと判断されるもののみを公開できるとしている。

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2009年2月22日 (日)

Fauzi Bowo市長の自宅周辺

Teuk_umar_aug_08_2
ジャカルタ市長のファウジー・ボウォの自宅の近くの二つの古い建物が壊され新しい建物が建築中である。Teuku UmarのNo.42 と44は市の遺産として登録されているはずであるがNo.40のナスチオン元帥邸が博物館に手直しされると同じときに工事が始まった。
市の遺産登録にはクラスがありこれらはクラスBとCでBは主たる建築部分を除きリノベーションが可能であり、Cは再建も出来るが周囲のデザインにフォローしなければならない。Mentenには多くの遺産登録があるが今やドンドン建て変えられサロンやレストランになっている。市の1992年の遺産保護条例には違反者には1億ルピアの罰金又は10年の刑が定められているのであるが。。
案外Menten地区は独立時の栄光のあった政治家などがオランダが置いていった家に入ったわけであるので、あれから70年、今でもこれら大きな家を維持することは至難なことだろうと思う。

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2009年2月20日 (金)

Berita Jakarta、Koran Jakarta、Globe JakartaにAnthonyも

一昨日のブログでBerita JakartaはGunawan Yusufが発刊した新聞だとのニュースをそのまま流したが、これは間違いでBerita JakartaはDKIのホームペイジである。 Korang Jakartaはこれまた、先般紹介したLippo GoupeのGlobe Jakartaと同じWall Street Journal型デイリーマガジンで、金儲けのうまそうなタイパン(華人か)のGunawan Yusufが2008年に発刊したものである。土地や住宅・自動車の売りたし広告にも力を入れているがここにも商売の芽を待っているかもしれない。但しJakartaとあるがJakrta Postと同じく全国版であり、相当力が入っているともいえる。このほかにBusiness Indonesia Todayと言う経済紙もあり、これはSalim グループのアンソニーが過ってのグループの砂糖工業資産を奪われた仇と敵意を以って対抗したメディアである。
アパートのミニショップで見かけた“Gulaku”というブランドの砂糖を生産しているG.YusufはGlobe Asiaの富豪ランキングをみると第41位にランクされていた.

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2009年2月19日 (木)

ジャカルタはHeritageの改修工事に励む

DKI政府はこの不景気の中、バタビアの遺産の修復工事に予算を付けた。対象は5件あり、Gedung Joang 45(弊ブログ07/5/22他参照)に50億ルピア、Tekstil Museum(07/07/08)に50億、Thamrin Museum(06/10/20)に25億、Wayang Museum(06/12/29)に30億とBalai Konservasiに50億である。場所を上げるとJoang 1945 MuseumはJl. Menteng Raya,、繊維博物館はJl. KS Tubun、Petamburanで、タムリン博物館はスネンのJl. Kenariでワヤン博物館はファタヒラ広場、Conservation InstituteはJl. Pintu Besar Utaraである。 工事は4月から始まる。市が管理している博物館は上記の他ジャカルタ歴史博物館、セラミック博物館など9件あり、訪問者の入場料で40億あるそうで大したものだ。2,000ルピア程度であり、無料だ入る小生もおり、くすねる職員もいる中であるからだ。今年のDKIの年間観光振興予算は600億で、1.7百万の外国人の訪問を見込んでいる。これもBerita Jakartaの記事の引用である。Kali_besarjul08_18
最後の物件は未だ遭遇していないので次回探すとして、その他はこのブログで以前に書いている。だが何時書いたか検索するのに2時間も費やした。このNiftyの検索も十分でなくGoogleは大きすぎる嫌いがある。ブログで以前書いた記事をすぐ読めるようにしたいのであるが、このフリーのブログでは未だ出来ていない。写真は記事と関係ない放置されたHeritage.

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2009年2月18日 (水)

Berita Jakartaが伝えるKemangのバカ騒ぎ

最近のKemangは朝方までバーやナイトクラブで外国人が飲み騒ぎ、騒音で就眠を妨害され道も朝方まで渋滞だという。朝4時半のお祈りに行く道で酔っ払いと遭遇し毎日うんざりした住民は南ジャカルタ区長に抗議したそうであるが、これらのナイトスポットの営業時間は次のように決められており、これを守らせるだけだとしている。
  *ナイトクラブは7 p.m. から 3 a.m.まで、ディスコテックは7 p.m.から 2 a.m.まで、
  *ライブミュージックは 7 p.mから1 a.m.、カラオケは2 p.m. から 2 a.m
  *サウナは10 a.m.から11 p.m、マサージ、スパは10 a.m.から11 p.m.まで
まぁこれで十分であるが、彼らは何も外国人だけでなくインドネシア人も多いはずだ。問題はスタートが遅いのが問題である。だがあそこにナイトクラブやディスコ、カラオケ、スパはあるのであろうか。本当にあれば日本人も出没しているはずであるが。。Sep307_005
今は昼の写真しかない。
Berita JakartaはFauzi Bowo 市長のDKIのホームペイジで先代から豊富なニュースを流している。 Gunawan Yusufが2007年に発刊したのはKoran Jakartaである。

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2009年2月17日 (火)

日本を駄目にする政界・財界

夕方眺めていたGlobeのサイト紙面で11時51分中川財務大臣が辞意表明したことを知り、同夕方5時52分与謝野経財相が兼任するということを報じていた。与謝野氏も今回の金融危機は最初の認識から一挙に最先端の悲観論者になった男で、財界の企業トップの逃げ腰経営者のオンパレードと共に無能な政界で愈々日本も駄目になるのか、このままではジリ貧である。財界には自己保身主義のサラリーマンか、或いは権力を振り回す、傲慢・頑固な政治家と同じタイプだらけのようである。今必要なのは将来を託せる若い世代への交代である。不況の震源地であるアメリカより何故日本が落ち込まねばならないのか、なるほど北米向けの輸出は大幅落ち込みで円高による不利益も大きいが、自ら国内市場の芽を殺いでいることが更に不況感を強めているのではないか。前回のバブルの後の失われた10年の失敗が欧米の悪い見本として生きているのに対し日本は又失敗を繰り返すのではないかと心配だ。株価などが実経済の指標となるのが可笑しいが活を入れるために株を買うことにした。 又10年を新規に頑張るためでもある。
夜のテレビで中川氏は6時過ぎに即時辞任に切り替え総理が受理したと語っていたが、Globeの報道は本人より早いことになる。すごいことである。

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2009年2月16日 (月)

Rumah Jawaがクマンに

これも帰国1日前の土曜日ぶらぶらした南ジャカルタで見つけた外国人必見の場所だ。
ここの地区はクマンの周辺地で欧米系外国人が多く住んでいるので欧米系外国人には知られているとおもうが、日本人はどうであろうか。Malik_cokro_kemang_018
Malik_cokro_kemang_022
伝統的ジャワ建築のRumah Jawaでジャワの伝統的家具を展示販売している、その名もRumah Jawaと言ういわばお店であるが800m2の緑滴る敷地にゆっくり憩っている人達もいた。奥の方に座って飲み物を飲んでいる人々も見かけたので小さなkafeでもあるはずである。写真を撮っていると止められたので、すぐそこを後にしたのでそれ以上は判らない。
この地区には多くの家具製作屋や工芸品屋も散在しており、ここの家主Zulfikar Latiefさんも伝統デザインのジャティの家具を作らせてジャワ遺産の保存に努めている。このジョグロ形式の建物に一歩はいると高い天井の奥まで意匠化された梁や柱、壁に飾られた展示品やゆったりした家具の数々で一度はこんな所に住みたいと思うだろう。空気もひんやりとつめたく心地よい。1月26日のMy BrogのWisma Garminahという旅荘も内部は似ている。

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2009年2月15日 (日)

無視されるMUIのFatwa

先日イスラム指導者会議(MUI)がヨガの禁止などのFatwa(宗教令)を出したが実際はリベラル派から多くの批判を浴びているのでホットする。NUのハシムムザディ議長ら穏健派は介入しすぎと批判を浴びせている。イランなどのイスラム国家ではFatwaは生か死の問題であるがインドネシアでは現実の生活にはなんら関係ないとして関心を払われていない。イスラム国立大学教授のRumadi氏がそう語っているのであるから本当なのであろう。問題を解決できないような Fatwaは却って問題を引き起こす。インドネシアのFatwa は強制力はなく、クリスチアン・仏教など少数派を守るインドネシアでは一般ムスリムはこのようなFatwaは不要として無視しおせっかいを非難する。政府も世界第5位の喫煙人口で40億ドルものタバコ税と多くの就労者のため、このタバコ禁止令にまゆをひそめている。多くの批判に対し指導者会議もFatwa ha単なる助言だと腰を引いている。
この協議会は1975年にスハルト大統領が共産党を嫌うイスラムからの支援を求める為作ったが彼は過激イスラムは禁止した。スハルト時代Fatwa は多く無視された。それでもかれらはFatwa を出し続け、古くは蛙・虫・蟋蟀・蟹を食用禁止、子宮内避妊器具の使用の是非、異教徒との婚姻・養子縁組禁止、異教徒への土地売却禁止、サッカーくじ禁止など出している。味の素に豚の成分が使われているとしてハラーム認定した事もある、今回のFatwaには、19の禁止令があるが報道されているのは瞑想のヨガ禁止、子供・妊婦・MUIメンバーの禁煙、子供との性的享楽の為の結婚禁止、選挙棄権禁止、精管切除禁止、人工中絶禁止、性転換手術禁止などがあるが時代錯誤だとして未だ19項目を羅列した報道にはお目にかかってない。イスラム過激派はこのようなFatwaは生ぬるいとしRotary ClubやLions Clubのメンバーになることも禁止した。

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2009年2月14日 (土)

2009年1月 投資環境関連トピックス

* 二輪車販売08年通年は前年比33%増の6,215,865台、自動車は40%増の607,804台
* 販売用個人持ち出し荷物250万ルピア超にも輸出税課税:財務相令。
* イスラムMUI布告:ヨガ・人工中絶・未成年婚姻・性転換の禁止、禁煙も
* イ航空会社の欧州への乗り入れ禁止、3-6月にも解除とUE使節団が約束:大統領。
* マジェネ沖(西スラウェシ)で客船転覆、乗員・乗客250人超の生存絶望的。
* イスラエル、ガザ攻撃:即時停戦要求、MUIは米国製品のボイコット首都で1万人 規模のデモ
* 無印良品、6月めどにイ進出計画。
* アサハン・アルミニウム、国営アンタムに買収させる計画案、工業省
* バリ空港の拡張を指示、09年4月に着工、2年で完工:副大統領。
* ユドヨノ政権支持率、08年末は69%に上昇:LSI調べ。
* 学校の始業時間を6時半に繰り上げる州知事令:渋滞緩和、首都政府
* 08年の経済成長率は6.2%:財務省が見通し。

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2009年2月13日 (金)

クバヨランの古マタラム諸王

この間のと言ってももうすぐ1ケ月前1月17日の弊ブログのJalan Galuhから東に向かい、Gunawarman通りとの間にある通りはDaksa 通りでそのGunawarmanを越えるとBalitung通りでその北のSenopatiをこえてBKPMの方に行く道がTulodung通りである。Dsc00227
これら通りの名前はサンジャヤ朝・古マタラムの諸王である。
Dyah Balitung (在位898年~910年)
古マタラムの9代目の王である。バリトゥンは衰亡のきわみのサンジャヤ王朝を継ぐ条件で王冠を得た。彼の碑文は多く残っており初めてマタラムの記載がある。
Daksa (在位910年~919年)
古マタラム10代目の王である。 ロロジョグランの建設を開始。Dewa Daksaといえばヒンドゥーの神である。
Tulodong (在位919-924)
古マタラム11代目の王でこの時代或いはそのあとの13代目Wawa王の時代にロロジョグランが完成した。 その後の実質最後の エンプセンドク王は、都を東のクディリに移し新たにクデリ朝を建国した。
サンジャヤ王は古マタラム(Kerajaan Mataram Kuno)の創始者ともいえるが、古マタラムと言うのは種々学説があるようで簡単に言えば、広義では古マタラムはサンジャヤ朝とシャイレンドラ朝に別れ、サンジャヤ朝が東に移動した時代にシャイレンドラ朝が起こり、その急速な繁栄と滅亡の間にサンジャヤ朝が復興しこれを狭義で古マタラムと言う。日本の南北朝を思い浮かべても良い。
仏教のシャイレンドラの時代にボロブドールが、又ヒンドゥの復興古マタラム時代にプランブナン(ロロジョグラン)のインドネシアのニ大遺跡が生まれている。
『チャンディ・ロロ・ジョングラン』は最も有名なヒンドゥ教寺院でシワ神、ブラフマ神、ウィスヌ神等の三大神を祀っている。
これらヒンドゥ教遺跡の創建者については諸説あるようであるが、上述の通りダクサ王が創建者と推定する説が有力である。Daksa_ambassador

ダクサ通りには日本大使公邸があり、古木がうっとおしいこの通りには常時警察の車が警戒中であり、正面からの写真は気が引けた。

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2009年2月12日 (木)

Adam Malik忘却の彼方へ

一寸前に反響を呼んだアメリカのジャーナリストTom Weinerの著作“ Legacy of Ashes, the History of CIA”にアダム・マリクがCIAのエージェント(スパイ)であったと言う内容があったので皆良く知っているものだと思ったがMalik_museum_ruin_1
デポネゴロ通り29番地のアダムマリク博物館は廃墟になっていたのだ。何時でも又訪問できると思って何度も通りすぎていたのであるが、暇で行き先に困った小生が帰国1日前に訪問したときこの博物館は閉鎖され既に屋根に草が生えるほど茅屋化していたので肝を潰してしまった。どうも2000年には既に閉館されていたようで、数日前にブログに登場したテレビ王 Harry Tanoeがこの不動産物件を購入していた。
マリクはスハルト時代に外相、国会議長、第3代副大統領まで上った男である。
確かにスカルノの容共政策時代にスカルノイズムに帰れという保守団体BPSを作ったが逆にスカルノに禁止されたこともあり反共の旗手ではあった。
アグン・ラクソノ国会議長はこの本を禁止手続きを取り、カラ副大統領はマリクは社会党系のムルバ党の創建したので不可能だと否定し、スダルソノ外相は西側のメディアはCIA妄想でその影響を過大に見たがる。昔ハッタもマディウン事件で同じ言いがかりを浴びたとコメントしていた。しかしこのミュージアムはもともとスハルトからの贈り物でマリクが住んでいたが彼の死亡後ミュージアムになったものの多分スハルト失脚以来政府の財政支援もなくなったようである。何があったのであろうか
この博物館は彼の数々のコレクションや贈り物などが展示され殊にインドネシアの大画家Basuki Abdullah、Affandi、Sudjojonoの作品もあった。ポルセラン類はファタヒラー博物館に移転した。
弊ブログの06年6月の英雄の像のプラークのスカルノの言葉“英雄を尊ぶ国家は偉大である”は何処に言ったのであろうかとLIPIのAsvi氏も嘆く。

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2009年2月11日 (水)

Cap Go Mehに神の審判の数々

昨日の朝のテレビで北京の国営中央テレビのCCTVの完成したばかりのビルがCap Go Mehのお祝いの花火で焼け落ちる像を見た。まさに911の再現である。1月27日のMy Brogで花火の連焼を警告したはずであるが。。ジャカルタ最後の夜に華人の友人に招かれIMLEKはマンダリンのInLi陰暦なることやIMLEKの1月26日から15日目が旧正の終わりのCap Go Mehつまり15瞑(15夜)であることは教わったが、その日も花火を上げる習慣はジャカルタではなかったと思う。日本でも大昔子供の頃は15日の小正月では部落で松飾など持ち寄り燃やし餅を焼いて食べる行事(松明け、どんと焼き)があったので火に縁がないわけではなかったが。Cap Go Mehはむしろランタン祭りや中国版バレンタインデーでもあるという。日本(神戸大震災)もインドネシア(スマトラ津波)も中国(四川大震災)もバブルの最後の審判は恐ろしい。今回のは駄目押しである。それから言うとアメリカが最大であるが未だ起こっていない。火事で言えば、韓国の南大門、日本では古くは法隆寺、近くは2004年三菱重工の完工直前の豪華客船サファイヤ・プリンセス号の大火災を思い出す。驚くことに今日は何の日の1972年1ケ月違いの1月9日香港で改装中のクイーン・エリザベス号が大火災を起こし、沈没した日でもあったのだ。

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2009年2月10日 (火)

キャセイでジャカルタから成田へ

朝6時半に家を出てからやっと夜中の11時半に自宅にたどり着いた。ジャカルタ・カウンターでも23kgmではノーチャージで済んだし搭乗後 後ろの席に空き席があったのでそちらに移りゆっくり出来た。ジャカルタ時間9:15分出発Hongkong着14:30ゆえ4時間強か。
成田行きは16:25ゆえ香港で2時間ほど少しゆっくりできると思ったのは、再度の荷物検査の長蛇の列にばっさり打ちのめされ、一番端の成田行きゲートにたどり着いたのは16:00、既に搭乗も済む頃であった。その間ゲートナンバー1から目的のNo.65までの延々と続くエスカレーターで時間を費やしたが目測2.5kmは歩いたのではないだろうか。CXの担当に噛み付いたが途中にモノレールのごとき便もあるようなことは言っていたが表示はなかった。
ジャカルタからの便では搭乗機が停止する前に立ち上がった男性に対し遠くから搭乗員が飛んできて厳しく注意していたが、成田行きの便では未だ25分もあるのでよかろうと思ってトイレットに立ち上がった小生が厳しい叱声を浴びることになった。香港人は少し尊大である。サービスより仕事をこなしているという感じである。Dsc00037
香港飛行場は巨大な無機質な人員捌き庫の感じであった。(往の時は再度の荷物検査はなく代わりにあっと言う間もなくショップもないゲートに直行となったが、この違いはJALなどとワンワールド・システムを結成しているからであろうか
それにしてもたった6.6万円ですんだの今回のキャセイ便、アンケートに大満足と評定したが、笑顔の少ないスタッフ評価が甘くなった。

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2009年2月 8日 (日)

Candi Shiva Mandir 北のヒンドゥー

ジャカルタにもアチコチにヒンドゥー寺院がある。最大はラーマングンと思われる。ジャカルタの北部はバリ人やインド人が上陸した土地であるためかなり多い。北でも東のマルンダ辺りにあり、
Pluit_sony_3 Pluit_sony_2
西だとここプルイットの寺院である。ここはシバ神を祀ったところであるが現在の建物は1975年にリノベされたものである。もともとこの地にはヒンドゥの火葬儀式の場所だったというが最初は1954にその横に小さな寺院を立て今日までに拡張して大きくなったものである。中央にNagaに守られたyoniに突き刺したLingaがあり大きなシバ神がたっている。シバ神殿といっても当然主神Brahma他Vishnu、Pravati,、Ganeshaの像が建っているしラーマーヤの登場人物から、更に仏陀まで祀られている。ヒンドゥーのお祈りは瞑想かと思っていたが訪れたとき奥の方で日蓮宗よろしく読経する集団がいた。月曜夕方には多くが集まり一般人も歓迎のお祈りがあるというので参加してみると良い。場所は1月25日の仏教寺Vihara Satya Dharmaの横であった。

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2009年2月 6日 (金)

リッポーのSt.MoritzかJakarta Towerか

1月11日、夢と消えるジャカルタタワーと書いたが、25日のAFPニュースでは地元関連企業組合では建設続行で合意したとのニュースが出た。2012年完成を目指すとはあったが、それ以上の具体的話はないので真剣度は不明である。現在の世界一は台湾にある高さ508メートルの台北101(Taipei 101)タワーとの事でジャカルタタワーは558メートルゆえこれを抜くがドバイタワーが800メートル、こちらも世界金融危機で計画通りいくか不明である。
ジャカルタの現在の一番高いビルはウイースマ46の万年筆ビルであるが225メートルである。
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このほかに計画ではリッポーグループが北ジャカルタで展開中のSt.Moritz タワーがありこちらは400メートル、その正面ビルは既に完成している。 ここはPuri Kembangan地区で135haの広さにオフイス、アパート、学校、ホテル、病院、モール等を備えた、独立した市を建設するもので、このオフイスビルが65階建ての400メートルの高さである。モフタール氏の最初の孫であるMichael Riadyが担当している。

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2009年2月 5日 (木)

Barclayもインドネシア進出

英国第2~3位、世界第7位のバ-クレーバンク(因みに日本のみずほは第11位クラス)がインドネシア進出を果たした。 インドネシア地場の商業銀行の末端と思われるBank Akita を買収したのである。 これで英国銀行はHSBCとStandard Charteredと共に3銀行となる。後一つの第2~3位のRoyal Bank of Scotlandは自らの進出は未だないが、ABNアムロバンクを他のスペイン・オランダ銀行と共同買収しているので間接的には関係はある。 Akita Bankには日本のORIXも一部株を保有していたようであるが最終的には創業者のDaniel Gunawanが名目1%を保有して残り、Barclay は99%の保有となる。 バークレーはインドネシアのリテールバンキングに興味をしめしており、非常に魅力ある市場と位置づけている。もうすぐ街角にBarclayの看板がお目見えするjはずである。

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2009年2月 4日 (水)

ジャーディンと国際投機会社の面々

現下の国際金融危機を引き起こしたリーマン・ブラザースなど米系投機会社がインドネシアの国有企業の民営化に殺到した時代がある。現在も毎年国有企業の民営化は続いているのでその幹事会社として包丁捌きをしているのかも知れないが名前を連ねた面々に登場願うと
インドサット:ゴールドマン・サックス
ペリンドII(港湾):ゴールドマン・サックス
ジャサ・マルガ(高速道路):リーマン・ブラザーズ、
テルコム:メリル・リンチとリーマン・ブラザーズ
クラカタウ・スチール:ソロモン・スミス・バーニー、
タンバン・ティマ:モルガン・スタンレー
アネカ・タンバン:モルガン・スタンレー
タンバン・バトゥバラ・ブキット・アサム:モルガン・スタンレー
ペリンドIII(港湾):クレディ・スイス・ファースト・ボストン
アンカサ・プラIIは UBSとSBCウォーバーグ
プルクブナン・ヌサンタラIV :ジャーディン・フレミング
セメン・グレシク(セメント) :ジャーディン・フレミング
オランダ系や日本の証券会社はお呼びでないのか、英国系はジャーディン・フレミングと言えるがジャーディン・フレミングは今はなくJPモルガン・チェースに変わっている。
長く証券には手を染めてない小生にはこれ以上突っ込めない題材であるが、12月30日ブログのジャーディンとアストラ、1月7日のジャーディンと慕情に続くジャーディンシリーズとしておきたい。但しジャーディンはまだまだ続きそう。

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2009年2月 3日 (火)

プタンブラン墓苑の日本人納骨堂

K.S.トゥブン通りと言ってもここにはめったに行く人は居ないのではないだろうか。そこにはサンチカホテルの宮殿風大ホテルもあるのであるが、やはり交通アクセスに難がある。Sony_jan_31_026Sony_jan_31_024

その斜め前にプタンブランの墓地がありここには春秋の彼岸にはジャパンクラブ主催の彼岸会の行事があるので、それでなじみになっている人もいる。ここはクリスチアンと仏教徒の墓苑で、当地で亡くなった日本人の方々の納骨堂があるのである。
昨年7月24日のブログでここに「南瞑に消えたスカルノの幻の第三夫人」の墓があるかもしれないと書いたが納骨堂を開けないと確認できない。次回の春の彼岸会に参加するしかない。ただ納骨堂に収めていない日本人の墓も幾つかあるがそれらには一応日本の墓石が立てられている。ここにはムスリムの墓はなく、ムスリムは専用のTPU(共同墓地)を持っている。

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2009年2月 2日 (月)

サボイホテルとプリアンガーホテル

ダーンデルス総督が命令したジャワ北岸1,100kmの道路がバンドン市内を走る所は現在アジアアフリカ通り(往年はグローテ・ポス・ウェク)でここに二つのホテルが建っている。
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サボイ・ホマン・ホテルとプリアンゲル ホテルである。1955年のアジアアフリカ会議の際にはVIPの宿泊施設となったもので由緒あるはずであるが料金は相対的に安価で良心的である。
サボイ・ホテルは1880年開業した当時はローマン・カントリーコテッジ風であったが1936年オーナーのVan Es Jrが建築家アールペルスに再建させ1938年完成したときからこの曲線のストリームラインが美しいアール・デコとなった。1929年シュマケル設計のグランド・プリアンガーは曲線がなく旧帝国ホテルのごとく重厚である。
曲線がなくてもアール・デコである。近代建築資材を駆使した装飾建築というアールデコの特色から曲線はその一つに過ぎないのである。

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2009年2月 1日 (日)

新所得税法 財務省令No.245 ~258を一挙掲載

月刊誌「インドネシア企業経営」2009年1月号に出ている。
その他インドネシアの会計・税務・輸出入手続き等下記の記事の1月号($100 or RP800,000/月)が発売中である。詳しくは下の住所に或いはメールアドレスrisa@indomalco.com又はk2433@attglobal.netに照会下さい。
今月の税務法令アップデート
今月の経済法令アップデート  
会計原則 116(投資不動産その1)
新所得税法の財務大臣実施細則集 速報
電器・衣料・食品等輸入規制の改訂
2009年州別・主な県/市の最低賃金
外国出国税の支払いと免除の手続き手順
中古資本財の輸入規定アップデート
経済指標 2002-2008
PPh21標準計算表
非危険・有毒廃棄物の輸入規制見直し
今月の労働関連トピックス
企業の一般会計基準 その1
一次産品輸出のL/C決済義務
証券取引所 BEI / IDX銘柄一覧表
08年5月新経済パッケージ~労務編
2008年12月度 下旬 政治・経済トピックス
2009年1月度 上・中旬 政治・経済トピックス
物価・貿易統計2008年1月発表
橋本政彦 「明日の街角37~確かな一歩を前に」 
西見恭平 「いにしえの国立銀行の接収資産」
今月の月次経済指標 2007-2008トレンド
今月の会計・税務用換算レート
今月の為替株式金利の動き


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