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2009年3月 6日 (金)

Kunstkringの変遷

Buddah Barの建物は20世紀初頭のオランダの建築家巨頭モーエンが設計した芸術院事務所で、90年代はトミースハルトが所有していたが、小生自身My Brogで建築博物館のアイデアを出したものである。Bopro_imigrasi_2
このブログ内検索でKunstkringをキーに検索すると5/9、2007と7/9,2008に出てくる。
その3回目として今回はMy Odyssayからその変遷を補充する。
この建物はネオロマネスク風であるがインドネシアの熱帯気候に合わしている。先行模範はジュアンダ通りにある生保のNillmij(7/28,08)やSemarangの鉄道NIS-Lawang Sewu(5/18,08)であった。
1914年に完成し、1階はなんとレストランであった。又1925年になんと最初の建築展示会をやっており、36年にはシャガール、ゴッホ、ピカソの展示会などもやっていた。その時代はジャカルタ市(Gemeente)が保有していたが、Madjlis
日本占領時代はミアイ(MIAI)が入っていた。写真はMy Odyssayから拝借した。屋根の所にMajelis Islam Aalah Indonesiaと書かれている。1950年代から1997年までがイミグラシ、トミーの手を経て2002年からDKI観光局の管理下にあった。なるほどスティヨソに近くなる。
昔は正面窓と階段窓に綺麗なステンドグラスがあり、それが盗難?に遭いMissing Stained Glassと騒がれていたそうだが市の手で返却されたであろうか。

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