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2009年3月10日 (火)

インドネシアの高校教育前史

2007年7月20日のブログ「オランダ時代のAMSは今はSMUN-1」の続きであるがこの学校のWeb等によると次のようにも纏める事ができる。
現在のBudi Utomo通り7番地にあるSMAN-1という学校は、オランダの時代、今で言う中学・高校レベルのAMSと言われた学校で名称は "Hogere Burger School - Prins Hendrik School (PHS)"、設立は1889年である。
Dutch_schoolsman
日本占領期はBudi Utomo No.7は日本軍の軍需品の備蓄倉庫として使われた。代わりに高等教育はチキニの現在のカニシウス高校の所にSMTとして設立された。
1946年最初のインドネシア政府の学校が設立されたが、最初は未だSMTの名前を使用し、その後SMOA (Sekolah Menengah Oemoem Atas)となった。現在のデポネゴロにあるPSKDの建物を使用していた。
1947年オランダの侵攻が始まると、この学校は解散しその活動は先生達の自宅で続いた。
1950年、インドネシアに主権が移譲された後、これらの自宅からこのBudi Utomo No. 7 に統合された。名前はSMA Kiblik(共和国SMA)からSMA 1-A とかSMA-ABCとかSMU-1 Jakartaとかの変遷を経て現在のSMAN-1 Jakartaとなったものである。
此処に出てくるカニシウス高校もディポネゴロのPSKDも名門であり三つの学校が絡まる歴史は補足説明がないと一寸不可解な気がする。

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