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2009年3月21日 (土)

Siswono Judo Husodo、私の住宅の恩人

1943年生まれのカリマンタン出身で大学はITBのシビルエンジニアリングを専攻した。学生時代、スカルノの末期に当たり学生行動隊の副指令を勤め、Dscn9850
卒業後1969年最初の事業会社Bangun Cipta Sarana社を設立し、WCの建築から始めたほどった。青年期はインドネシア青年実業家協会の会長を務めた(1973~1977年) 又不動産経営者協会会長(1983年~1986年)、スハルト時代は国民住宅担当国務大臣(1988~1993) 、移住森林開発大臣(1993~1998) と2期大臣を務めた。
2004年の大統領選では副大統領としてアミン・ライスとコンビを組むことを請われた。彼はKKN(汚職、癒着、贔屓)のない人物としての評価を確立してる。政治面では農業を代表する国会議員である傍らTry Sutrisno、Edi Sudradjat、 Sarwono Kusumaatmajaと統一正義党(PKPI)を設立している。
実業の世界ではBangun Cipta Sarana社とArtha Guna Cipta Sarana社 (Jakarta Design Center, Apartemen Semanggiを保有)、2007年、資産1.7億ドルでインドネシアでは78位の富豪となっているが現在では二輪車でサワンガンの羊牧場に出かけるなど、農夫を任じているとのこと。写真はアパートの横のJDCとBCSの本社。


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