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2009年4月 2日 (木)

Dewi夫人の邸宅

後ろを追跡したその車は“大統領私邸のある通り”に入り、“右側の私邸には関心を示さず、真っ直ぐ前方に走りぬけた”“先行車は約200メートル走るとT字路に行き当たり右折した”急ぎ“右折すると直ぐ”の所にその車は停車して降りた後であった。そこは“高い椰子並木の道”でその家は“黒っぽい屋根瓦で前庭にはブーゲンビリア”が咲き誇っていた。中村敦夫氏の「ジャカルタの眼」の中の描写である。 Monas_menten_034
小生もこの車の後を付けて、それと思われる家を突き止めたのがこの写真である。
大統領はスハルト大統領のことであり、高い椰子の並木道とはJln.Suwiryoである。この家とはスカルノの名誉も回復された後の1984年頃デウイ夫人が住まわれた家のことである。丁度その頃はベニームルダニ将軍が治安を守っていたが毎日ヤクザ殺しが起こっていた頃である。これが敦夫氏の題材になっていた。慈恵のママに聞くと、Jln Sumateraにも家があったとか、そういえば1月末ごろデウイ夫人とは慈恵でお会いしたが、差しさわりがあるといけないので伏せていたが夫人のブログを見るとちゃんと公にされていた。

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