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2009年4月 8日 (水)

Joko Sutono 行って見ないと判らない本当

昔道路シリーズでクバヨラン南東部の道路名を書いてみたがそのときJoko Sutonoと言う道路名を取り上げたが、いくら調べても誰なのか不明であった。その時はSutomoと一字間違ったんだろうと、スラバヤの英雄ブントモではないかとお茶を濁したが、Wijaya_028
先日行ってみて驚いたことにBapak Sutonoの銅像が建っていたのである。この地区はクバヨランの東西を分けるようなイスカンダルシャー道路の東側で広大な土地に50に喃喃とする新築の煌びやかな建物群が建っていた。そこに大隈重信然とした銅像が建っており、近くの人に聞くとその名前を答え、更に誰だと聞くとその建物群の創設者だという。後で調べるとこの建物のコンプレックスはPTIKと言う警察の大学(警察大学院大学)であった。此処でJICAの専門家が市民警察思想(インドネシアではポルマス)のセミなどを行っていたようである。それは日本政府が協力するプロジェクトでインドネシア国家警察改革プログラムの一環であった。
この大学はいわば警察アカデミーに当たるのかとおもわれる。インドネシアの警察大学の歴史は独立直後からあり、最初はジョグジャに作られ1950年にジャカルタはスカルノハッタ独立記念公園の裏側当たりのTambak地区に移転し更に、CiputatやSukabumiの変遷を経てこの地になり、名称もPTIK (Perguruan Tinggi Ilmu Kepolisian)になっている。
この土地は1971年にProf. Djokosoetono, SH.が土地を提供し、始めて大学(Institusi:Sekolah Tinngi)のステータスで獲得した形となっている。Djokosoetono氏は1954年から 1965年に学長を務めている。
PTIK の住所はJl. Tirtayasa Raya No. 6 (Telp : 021-7222234 )であるが彼の名前の道路も近くに走っている。
ここからWijaya通りに向かい少し東に取るとジャカルタ鳥元がオープン急ピッチの工事をやっていた。

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