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2009年4月 1日 (水)

スカルノ臨終のとき

墓石公園にスカルノとハッタ故正副大統領の棺桶がある。スカルノは1970年6月21日 朝7時、ガトットスブロト陸軍病院で子供達のグントール、メガワティ、ラーマワティ、スクマワティ、グルーに見取られ最後の息を引き取った。Dscn0157_2
ご遺体は湯浴みされ、白い木綿で包まれて納棺された。その後11:30 Abdul Rachman通りからPejambon、Merdeka Timujr、Thamrin, Sudirman通りを多くの自動車の群れを引き連れガトット・スブロトのヤソー宮殿に運ばれジャカルタ最後の別れのあと、翌日ハリムからブリタールに運ばれ埋葬された。ハッタはその10年後1980年3月14日、チプタ・マングンクスモでなくなりタナクシールの一般墓地(TPU)に葬られている。どちらも国葬でスカルノにはマラダン・パンガベアン国軍副司令官が、ハッタの時はアダム・マリク副大統領が葬儀委員長を務めた。イスラムの埋葬は“Dari Tanah ke Tanah”土に帰ると言われ遺体(jenazah:Jasad)と土を隔てるものは遺体を包むさらし(Kain Kafan)以外はないのが決まりのようである。
スカルノ臨終の時、デウイさんとハルテニィさんはスハルトにお墓をボゴールにしてくれと頼んだ話があるので二人はその場にいたことになるがファトマワテイやハルヤティさんがどうだったのだろう。

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