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2009年5月22日 (金)

17世紀初頭のバタビア地図

バタビアのMiddelpuntについて大先輩の広澤さんからコメントをもらった。先日のMiddelpuntのブログでアップロードした地図は氏が保有する1650年のものとそっくりだが、橋は現在のJl.Bankの橋のみで、Middelpuntの名前はなく、通りの名前は、Brugstraat(Bridge Street)となっているということで、氏は他に1627年の地図をお持ちであるが、その頃のバタビアの発展は著しいようだとの事であった。小生の地図はHeuken氏の著作から拝借したが、それにはやはり1650年となっている。A_batavia_1619
又小生はジャカルタ歴史博物館から入手した1619年のものがあるのでこれを今回アップロードしたが、1619年は未だ市街の形成はない。1619年はクーンがバタビアを建設した時代であり、1627年はマタラムの攻略があった時代でこの後ジーメンス総督の時代、バタビアの繁栄の時代になる。氏は先ず東側から開発されたと述べており、確かにジーメンスの時代にはアムステルダムを思い起こさせるアマヌス堀とタイヘル堀が作られ、市庁舎も完成したとされている。
ジーメンス時代(1636年~1645年)のバタビアの人口は9,000人(内VOC側3,000人)に過ぎないのに比べると立派な街である。

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