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2009年5月 1日 (金)

今日は西イリアン開放記念日

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今日は西イリアン開放記念日である。現地では軍隊内のローカル兵士の本島上司に対する怒りから暴動に発展し荒れ狂ったようである。チェンデラワシ師団長が抗議団に謝罪し平静に戻ったようだ。ニューギニア西部はオランダの植民地で、逮捕されたインドネシア民族運動家の島流しの地で彼らの涙と恨みの地であった。1949年12月のハーグにおける主権移譲協定では移譲が留保され、現地の選択に任されていたため、独立後のインドネシアにとってこれを取り戻すのが悲願であった。
西イリアン奪還には主権移譲の年から12年の歳月を要した1963年5月1日である。その後1969年、インドネシア国軍が介入した住民投票を経てインドネシア領となったが住民側には常に独立の動きがやまず、現在名称も西パプアとなっている。年表で簡単にエッポックを示すと;
1949年12月27日:オランダ主権委譲が発効、西ニューギニア問題は1年後討議で留保
1950年-1952年:交渉の時代、決裂で打ち切り
1954年-1957年:国連提訴から3回否決される
1954年-1960年:ハーグ協定破棄通告、オランダ企業国有化、対決へ
1960年-1961年:インドネシア軍事増強、米国から、後半はソ連も競争的に。
1961年-1962年:3大指令(トリコラ)、マンダラ作戦、武力解決へ
1962年:国連ウタント事務総長の調停、ケネデイの調停
1962年7月:オランダ孤立化からバンカー案受諾へ、暫定協定
1962年8月17日:オランダに対する勝利の宣言
1963年1月:協定に基づき、国連旗と紅白旗の掲揚
1963年5月1日:協定に基づき施政権取得
1969年:インドネシア国軍介入の住民投票で、住民80万人の声を圧殺し西ニューギニアを併合
1973年:イリアンジャヤ州と改称
2007年:西パプア州と改称
民族的にもインドネシアと共通面が少なく、いずれチモールの道を歩むのかも知れない。中央との交流はすくないが社会不安高まる昨今は、警備員などでジャカルタに進出している。恐持てでぴったりな職場ではある。写真はイリアン開放記念塔。


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コメント

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投稿: sirube | 2009年5月 1日 (金) 16時49分

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