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2009年5月25日 (月)

バタビア城は強もの共の夢の跡

ダンドゥッドにLT5/LW3と言うのがあるが主人公の住んでいる所は、ジャカルタの北のコタ・インタンなる言葉で紹介されている。オランダが最初に築いた植民の砦であるバタビア城が其のゆわれであるようだ。古いバタビアの地図を見ると、バタビア城自体が四隅に突き出した詰め所があり、全体像はダイヤモンドの形状をしている。更にこの四つの詰め所には名前が付いており、一番右端南が1. Diamant、時計回りに2. Saffier、3. Robin、4. Paarelと宝石の名前が付けられている。これは現在のどの辺にあったかであるが、18世紀のJohannes Rachが丁度西側のシップヤードからバタビア城を拝む形の絵を描いているので、これが参考になる。Abmay_09_batavia2_032
このシップヤードは現在 何時ぞやのGaja Tunggal 保有のレストランになっており、レストランの外の川岸に記念碑も建っているのでそこから対岸の写真を撮ってきた。 この記念碑はシップヤードの記念ではなくJayakaruta戦勝記念のようだ。落書きで汚れ、辺りはゴミで荒れ放題、川はよどみ悪臭を放ち息が出来ない。城と思える辺りはところどころに倉庫の屋根は見えるが茫々たる雑草生い茂れる地帯である。将につわものどもの夢の跡でうら悲しい。
いずれRachの絵を後付でアップロードする予定であるが、これが取り壊されたのは19世紀始めのダーンデルス時代なので確かにRachの時代はあったことで間違いはない。

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