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2009年5月28日 (木)

コタのオランダ吊橋もミデル・プント?

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カリ・ブサールのミデルプント橋の北のつり橋はアムステルダムを模したもので、此処からインタン(ダイヤモンド)の形をしたバタビア城が望める為、コタ・インタン橋といわれていた。
オランダがここに橋は掛けたのは1628年で大運河の東(オランダ側)と西(旧イギリス側)を繋ぐものであった。従い最初の名前はイギリス橋(Engelsbrug)であったが、マタラムとの戦争のとき取り壊し、その後吊橋の形に作り替えた。その後の名称はバタビアの中心でJembatan Pusat、とか、近くの鶏市で賑わっていたためJembatan Pasar Ayam (Hoenderpasarbrug)とか言われ、1938年にはユリアナ女王の記念に改装されたのでJembatan Ratu Juliana(Pphaalsburg Juliana)と変ってきた歴史がある。歴史家のCandrian Attahiyatによると上のJembatan Pusatというのがミデル・プント橋だというのでどちらが本当のミデル・プントかわからなくなった来た。いずれ又確かめないといけなくなったが、彼はそれは1655年のことであるが何故そういわれたかの理由は言わなかったとあったので、自信がなかったのかもしれない。今は綺麗に改装され照明も施されているが、往来としては使えないよう柵がしてある。

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