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2009年5月11日 (月)

バタビアのからゆきさん

バタビアにもカラユキさんが多く居たのであろうか
カラユキさんは幕末から大正初めに主として東南アジアに売られていった主に天草・島原出身の春を鬻ぐ日本女性のことであるがその中心はシンガポールであった。ハワイやアフリカまでもその需要はあった様でその60年の歴史の総数は4~5万人にも上るという。数字は明確のものはなくその時々で異なるが、明治末期は女衒やその親分が支配し娘子軍として送り出していた時代のシンガポールで3,400人とも言うが大正初期の衰退期でも1,200人と言う数字もある。一旦シンガポールに出て各地に移ったり、各地に蜘蛛の足を伸ばしていた。山崎朋子女史の「サンダカン8番娼館」によると サンダカンには大正初め9軒の置屋があったというがそこにカラユキさんは21名いたとのことである。 
第1次世界大戦に戦勝した日本は日本の恥部として廃娼令を出し、先ずシンガポールで女衒の追放など徹底した為、シンガポールからクアラルンプールやバタビアへ移った女も多いことであろう。Acenter_jan_31_026
現在ジャカルタのプタンブラン日本人納骨堂には、170個の遺骨が納められているそうだから100人規模のカラユキさんがいたと推定できるがどうなのだろうか。写真は日本人納骨堂である。山崎朋子女子もカラユキさんの墓碑を尋ねて此処を拝んだが、納骨堂に収められているのを確認して半ば安心されてメダンに向かったとある。。。

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