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2009年5月21日 (木)

日本人納骨堂の外で

山崎朋子女史の「サンダカンの墓」によると女子は1974年頃、タナバンとプタンブランの墓地に寄っている。そこで未だ収容されてない二つのからゆきさんと思われる墓を発見している。此処が博物館となったのは1976年のアディサデキン時代だったので、未だ整備されてない時代である。 ところがプタンブランの墓地には日本人の納骨堂があり、市内の日本人の身寄りのない墓を纏めて立てたもので、それはずっと前の1931年、ジャカルタ在住の名士石居日出雄氏の父・石居太楼氏らが建立したものだそうで、そうすると未だタナバンの2つは見落とされていたのであろうか。現在のタナバン墓地はこのブログで何度も取り上げたプラサスティ・ミュージアムであり、小生もなんども行くが其処には廣安部隊玉砕の墓碑以外に日本人のものはないのでその後納骨堂に移されたものであろう。Abasony_jan_31_029
ただプタンブランには納骨堂の外にまだ二つのちゃんとした日本人の墓もある。昭和4年没 行年24歳とあるので「サンダカン8番館」のサキさんより5歳ほど後であるので違うのだろう。

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