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2009年5月15日 (金)

浮世絵からアール・ヌーボーへ

小生のこのブログで浮世絵(5月13日)に至ったのはベース・テーマであるバタビア時代のオランダ建築様式の調査からアールデコ(2月2日)、アールヌーボー(4月29日)へと探りを進めたからであるが、逆に浮世絵からアール・ヌーボーのオランダ建築には戻れないままである。つまり今のジャカルタにアールヌーボー様式のバタビア時代の建物を探しきれないということである。所で、
海外の浮世絵はボストンに5万点、イギリスに2.5万とは書いたが、ジャポニズムの本場フランスが抜けていた。其処まで至らぬがギメ美術館(ルーブルの東洋美術部門)で5,100点、フランス実業家から購入した松方コレクションが8,000点、モネコレクションが200点とか、あるのはある。むしろ未だ名をなさないゴッホが200点も持っていたということから当時相当多く、相当安く出回っていたことが推定できる。と言うことで19世紀中頃、多くの画家が集まるフランスではむしろ浮世絵に触発された印象派が生まれたといえる。
印象派の画家クロード・モネ、ヴァン・ゴッホ、ツールーズ・ロートレック、ポール・ゴーギャン、ジェームス・マックニール・ホイッスラー、エドゥアール・マネ、オーギュスト・ルノワール、ギュスターブ・クールベ、カミーユ・コロー、エミール・デュラン、ポール・セザンヌ、エドガー・ドガなど多くがその影響を受け自身をそれを認めている
彼らはボザール学院のネオクラシックに飽き足らず日本画に傾倒したもので、その特色をランダムに挙げると
*従来の左右対称シンメトリを排除
*非対称不均衡で空白を生み、動きを予感させる
*中心を外す
*日常性、生活感。
*その他、自然観に基づいた色彩、平面的で隈取り主義(Cloisonnisme)と呼ばれる輪郭線で囲み彩色する装飾的技法、屏風絵の連想などがある。2la_japonaiseAgouluelitho1Ab_mucha2_3
これぞと言う関連性は1895年にサミュエル・ビングが「Art Nouveau」(新しい芸術)と名づけられた、日本美術工芸を中心の画廊を、パリに開店したことで、この画廊の名が後のアール・ヌーヴォーと呼ばれることになったことである。さらに 「ポスターの父」と言われるシェレ、ムーラン・ルージュのロートレック、アール・ヌーボ-の父ことミュシャ、サロメのビアズリー(英)などBelle E’poque(ベル・エポック「良き時代」)にポスター・挿絵、工芸品、家具、建築にも幅を広げた。絵画のサンプルを掲げるが、この後建築に迫らないといけない。

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インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

こんにちは
素敵なブログですね。
ジャカルタ・日本、色々な交流があるのですね。
色々と参考にさせて頂きます。

投稿: 骨董品 / 骨董市ネットギャラリー | 2009年5月17日 (日) 17時50分

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